月刊誌『第三文明』(12月号)に以下のインタビュー原稿「本気は世界を変える」が載ることになりました(浜口直太のインタビュー記事)

<プロフィール>
国際経営コンサルタント・起業家
浜口直太(はまぐち なおた)
1960年7月兵庫県生まれ。創価高校、創価大学経営学部卒業後、テキサス大学経営大学院MBA取得。米KPMGピート・マーウィック、米プライスウォーターハウスクーパース(PwC)を経て、米国で経営・起業コンサルティング会社を設立。その後、東京で株式会社JCIを設立し代表取締役に就く。同社は世界最大のイタリアンレストランチェーン「Sbarro(スバーロ)」を日本で運営。著書は『一番結果を出す人の66の仕事のルール』『コンサルタントの90日で結果がでる! 勉強法』など70冊。趣味は「人の相談に乗り応援すること」、読書、作詩、水泳。


▽周りがビックリするほどの“圧倒的努力”が大好き

▽とにかくやってみよう”が口ぐせの“一瞬懸命”の持ち主

▽苦手に真っ向から挑戦、期待にこたえて結果を出す


苦手な英語と国語。あえて苦手に挑戦して、天職としての国際経営コンサルタントと実業家の二足のわらじをはく浜口直太氏。5年で70冊の本を書くエネルギッシュな人。その元気の素はどこにあるのか。


▼高校生時代に直感的に決めた、天職“国際経営コンサルタント”
 恥ずかしながら、私は小学校、中学校では、暗記力と理解力が極端に悪く勉強ができなくて、“おちこぼれ”でした。両親も半分諦めかけていましたが、崖っぷち状態で高校に入りました。友人からは「浜口は、性格はいいけど、本当にバカだね」と言われ続けていました。
 英語と国語が嫌いで大の苦手。そんな中、担任で英語科の先生から高校3年生の夏休みを利用して、アメリカで1ヶ月のホームステイを勧められました。ある意味、母親の強引さで押し切られるように、「アメリカに行って、男になって来い!」という、渋々の渡米でした。でも行ってみたら、自由奔放なアメリカの空気は私にとても合っていました。
 帰国後本屋で留学の本を見つけたことがきっかけで、「国際コンサルタント」になろう、と思い込みで決めました。本の著者の事務所に電話をして、会って話が聞きたいと申し込んだら、応じていただきました。以来、何度もその事務所には相談に行き、その先輩国際コンサルタントとは今でもお付き合いさせていただいています。この経験から、誰と出会うかで、人生は大きく変わると思います。
 「日本の大学に入っていい成績を残し、それからアメリカの経営大学院に留学したらいい」という彼からのアドバイスを素直に受け、それからは徹底して勉強に励みました。大学在学中は、無遅刻、無欠席、無早退で、全科目の予習、復習を全力で取り組みました。その結果、卒業に必要な4年分の全単位を2年で取得することができました。
 渡米前に留学資金の貯めるため、鉄工所とカフェでのアルバイトで、死にものぐるいで働き、6ヶ月で約300万円を稼ぎました。
 大学卒業1年前に、留学のため渡米。そこで猛受験勉強を始めました。1日16時間の勉強。それ以外はテレビで英語のヒヤリング特訓。1日4時間睡眠。でも、もともと英語力と国語力が乏しかった私の能力ではアメリカの経営大学院のハードルは高すぎ、受験した全7校に落ちてしまいました。悲しすぎて涙も出ず、1週間寝込んでしまいました。しかし、諦めませんでした。後に就職してから何とかテキサス大学経営大学院に入り、働きながら念願だったMBAを取得しました。

▼“諦めない”ことで目標が徐々に近づいた
 私は高校卒業時に生涯の人生計画書を立て、1枚の紙に書き留めました。今でも、ヤル気が薄らいだり、迷った時、その紙を取り出し、何度も何度も読み上げ、再決意しています。22歳から32歳まで、アメリカの大手国際会計・経営コンサルティング会社で修行、32歳で独立と書いてあります。
 アメリカでの就職は困難でした。しかし、諦めず挑戦し続けました。採用条件をまったく満たしていないのにもかかわらず、本気で就職したかったので履歴書を送りました。
 どうしても入りたかった業界トップ企業の面接で真剣に訴えました。私の真剣さが伝わったのか、「やらせてみよう」「チャンスをあげよう」ということで採用いただきました。
しかし、能力不足で仕事がまったくできず、雑用係からの始まり。そのままでは、クビ確実に。それで人にアピールするのが好きな私は、営業を志願しました。新入社員には営業はさせないのが普通でしたが、背水の陣で上司にお願いし、必死に営業しました。
 その結果どんどん成約し、28歳で役員待遇になるほどのスピード出世をさせていただきました。米国に進出してきた日本企業を中心に営業できたのもラッキーでした。
 人生計画通り、32歳で独立。独立後、世界最大手の流通企業がクライアントになるという恵まれた仕事を始め、海外実業界のトップクラスの人々(約200人)と仕事ができました。ここでも、人とのつながりの大事さを深く感じています。
 アメリカで20年間やった上で、8年前に帰国し国際経営コンサルタントとして日本で再スタートしました。人とのつながりで、現在、日本のみならず世界的なビジネスリーダーと仕事をさせていただいております。

▼苦手なことに挑戦、圧倒的努力を続けること
 いま、仕事をしている中で、つくづく思うことは「成果が出るまで圧倒的努力をしよう」ということです。アメリカの大富豪のロス・ペロー氏(世界最大級の情報処理サービス会社を創業し、大統領選挙にも出馬した人物)は、「成功できない最大の理由は、やるべきことを、やれることをその時すぐに全部やらないからだよ」とアドバイスしてくれました。「やるべきこと」「やれること」を今すぐやる、これは私の座右の銘になっています。
 私の人生計画の中に「本を100冊以上出版する」というものがあります。英語も国語も苦手な私が本を書く、というのは信じられないことです。実際、大学を卒業するまで、読んだ本は、教科書を除くと、『野口英世』と『子鹿のバンビ』の2冊だけという超不読書家。読書好きの友人から「お前が本を書けるくらいなら、オレはノーベル文学賞とれるよ!」とバカにされたことがあるくらいです。
 結果としてこの5年間で70冊の本を書きました。『あたりまえだけどなかなかできない仕事のルール』(明日香出版社)は、現在25万部というヒット作。しかし、出版は土素人でしたので最初は酷かった。31社の出版社に企画書を持ち込みましたが、すべて断られました。32社目で日の出を見ました。
 「普通の努力では結果は出ない。圧倒的努力が必要」というわけです。圧倒的努力とは、周りの人がビックリするくらいの努力のこと。一番苦手な英語と国語。いま、思えば、私は苦手なことに挑戦する人生を歩んできました。
 5年前から本の執筆と同時にブログにも挑戦しています。私のブログは日記と決意発表、反省を綴っています。月に150回から200回、更新するという熱いブログです。最近、二つのメッセージを事ある毎に訴えています。
 「成功することではなく、成功するまで努力(挑戦)し続けること自体に人生の真の価値がある」「命さえあれば人生何度でもやり直せる。だから生きている限り何を始めるにも遅すぎるということは一つもない」
 「浜口さんエネルギーの素は何ですか」とよく聞かれますが、強いて言えば、自分のことだけでなく、人生の師匠や両親、恩人などへの「期待にこたえる」という感謝の気持ちが私の元気の素と考えています。いま、最も好きな言葉が「一瞬懸命」ですね。