人知れず語学力をつける努力をする


 私は、語学の勉強が大嫌いで超苦手でした。特に英語が、です。

中学生や高校生の頃は、日本語もろくにできないのに、なんで外国語を勉強しなければならないのかがとても疑問でした。

高校3年生の時に、学年で極端に英語のできない私を、見るに見かねていた担任で英語科の先生は、夏休みを利用した短期米国ホームステイをアレンジしてくれました。

たった1ヶ月のホームステイでしたが、それによって私の人生は大きく変わりました。

それまでは英語はただの受験に必要な科目だったのです。が、国際的にコミュニケーションをする上で、欠かせないツールであり、時と共にどんどん変化する、正に人々の生活に根付いている生き物であることを痛感しました。

ホームステイ中、英語ができないためにとても悔しい思いをしました。あんなに優しくお世話になったホームステイ先のご夫婦に伝えたい自分の気持ちがなかなか伝えられなかったのです。

あまりに英語ができない自分に、腹が立ち悔し涙が出てくる有様です。その時決意しました。いつか彼らとお互い気が済むまで話し合えるくらい英語力をつけることを。

そして、これを機に、世界中の人とやりとりができるような国際的な仕事にもつきたいとの思いが募っていきました。


よく「日本語もろくにできないのに、外国語を習わせるのはおかしい!」との厳しい指摘を聞きます。それはまったくの誤解だと思います。

なぜなら、私も高校を卒業するまで日本語は全然できなかったのですが、英語を本気で勉強し始めたら、日本語の力まで急速についていったのです。

つまり、英語を勉強することで、それまで理解できなかった日本語がわかり始め、外国語と比較することで更に理解が深まることを実体験しました。

もし、私が外国語である英語を勉強しなかったならば、当時確認作業としての日本語での勉強もしなかったでしょうから、日本語も小学生か中学生1年生レベルで止まっていたでしょう。

また、英語を本気で学んでいなければ、このように日本語で本を書いたりすることは、あり得なかったでしょう。

なにしろ、本を読むのも、文章を書くのも、大大大嫌いだったのですから。今作家業をしていること自体奇跡としか言いようがありません。

昔の私を知っている人は、今私がやっていることを知って、「嘘でしょう!」「あり得ない!」と、ビックリしています。先日も同窓会に行ってきましたが、本を書いていることを、自著を見せるまで皆信じてくれませんでした。

そりゃそうでしょう。高校3年生の夏まで、読んだ本は、母から強制的に読むよう命令された「小鹿のバンビ」と「野口英世」の2冊だけだったのですから。それも、2冊とも途中で飽きて投げ出し、読破できませんでした。

いつも思っていました。「なんて本って回りくどくてつまらないのだろう!」と。小さい頃からテレビのアニメーションばかり観ていましたので、時間をかけてコツコツ読むことなどまったく眼中にありませんでした。

後になってどの分野においても、本当に力をつけるためのカギは、毎日コツコツやること以外ないことがよくわかりました。


 毎日コツコツやらなければ力がつかいない代表格は、語学の勉強だと思います。少しずつやる癖をつけることで、持続力や忍耐力もつき、真剣にやればやるほど、どんどん伸びていきます。

 私は語学の学習で最も大事なことは、人間性の向上だと思っています。他の言語を勉強することで、違う文化や価値観から成る外国語の目線から日本語を見直し、更に深く学び直すのです。そうすると、日本語の長所や短所も明確になり、ありがたみもわかってきます。

 体験的に言いますと、外国語を学ぶことは、異文化や他の価値観を大事にする心が自然と養われます。ですから、その努力はいくつになっても、またどんな立場になっても、大事になります。

 そんなことから、人知れず語学力をつける努力をしている人は、自然に輝いているので、不思議です。その尊い心が、その人の言動に滲み出てくるのでしょう。