「日米融合経営」を実践して蘇った米国企業



1980年代~90年代前半まで,日本企業に負けていた米国企業が徐々に復活した。その後、日本企業が弱体化して、今また強くなりつつあるのは、「日米融合経営」を実践しているからだと私は思っている。

米国企業は、80年代後半~90年代前半までの間、徹底的に日本的経営を学び、米国で生かされる部分だけを既存の米国型経営にどんどん導入した。要するに「日米融合経営」の実践に挑戦したのだ。

今急成長しているベンチャー企業や優良企業と呼ばれている米国企業を視察したり、コンサルティングをしたりすると不思議な思いにかられる。昔どこかで見たり体験したりした場面によく遭遇するからだ。

それらは、まさに80年代まで生きていた日本的経営の要所なのだ。日本企業内で失われたものが、米国の急成長中のベンチャー企業や優良大手米国企業の中で、継承されている。

90年初頭に当時ソニー会長であられた盛田昭夫氏、EDS社創業者でペロー・システムズ会長兼最高経営責任者のロス・ペロー氏、故エドワード・デミング博士、故ピーター・ドラッカー博士など日米の著名経営者・経営思想家に日本的経営を教えるビジネススクールを創る構想を伝え、協力を要請した。

その際、ほとんどの方が、

「これからは米国型経営のみでもなく、日本的経営のみでもない『日米融合経営』を教える必要がある」

と言われたのを昨日のように思い出す。

皆さん第一線でグローバルな経営に携わっておられる方々であるだけに、当時既に本質を見抜いておられたのであろう。