燃えるように生きる



 凡人が成功する時、最低必要なことは根性だと思います。根性の元になるのは、燃えるような闘志です。それによって燃えるような人生へと誘導されます。

 燃えるように生き始めたら、もう凡人ではなくなります。それは凡人としての目標に対する無気力さや保守的な言動がなくなったことを意味します。燃えるような闘志で挑戦し続ければ何事も最後には成就するというのが、私と私の友人達の体験です。凡人だった人が、成功できた時、そこには間違いなく燃えるように生き抜いた人生があります。

 なぜ、燃えるように生き抜けば、成功できるのでしょう? わかりますか?

ニューヨークで活躍する世界的ジャズ奏者、ジュン・ミヤケさんがそのことに答えてくれています。

「成功するための秘訣は、成功するまで止めないこと。若い人たちにも、自分がこれと思った道を貫いてほしい。とにかく、自分なりに好きなことをやり抜けば、成果は出ます。そしたら、人はそれを見て感動してくれます」

 ミヤケさんは、エリートではありませんでした。むしろ、凡人中の凡人といっていいほど普通の人でした。県立出石高校を卒業後、関西外語大学へ進んだが中退。土木作業などをしながら、東京から北海道まで国内を点々としました。大学時代の友人の演奏を聞いて以来、昔から抱いていた「ジャズ奏者になりたい」という夢を、ようやく行動に移したのは、既に24歳の時でした。

「ジャズで飯を食べたい。やるからには世界のトップに」と、28歳で渡米。ボストンにある世界一流のバークリー音楽大学に入学後、フルートを専攻し、1年目で首席になったのでした。

 地下鉄構内などでライブ活動を本格的に始め、いざニューヨーク進出に挑戦したのです。しかし、本場で認められるのは容易ではなく、失敗と挫折の連続。

「日本に帰ってこないか」との誘いもありましが、3度目の挑戦で遂に2000年に有名なジャズクラブのマネージャーに認められ、日本人で初めてレギュラーバンドのリーダーの座を獲得したのです。

 更に、ニューヨーク在住の日本人の一流演奏者らをバンドに誘うことに成功し、日本でも認められるようになりました。活動は徐々に広がり、2003年にはファーストアルバムが発売になりました。

 今日米のみならず世界的にもどんどん評価されつつあるミヤケさんは言い切ります。

「守りに入らず、世界一を目指したい。そして、みんなに元気になってもらえるような演奏を続けたい」と。


 彼のこれまでの生き様は、凡人が成功するために必要なことを教えてくれていると思います。色々な表現があるでしょうが、私から見たら、正に「燃えるように生きてきた」という印象を持ちました。

「譜面が読めるようになったのは、23歳。サックスを習い始めたのは25歳の時でした」

 ミヤケさんが、その道のプロを目指した時は、普通の業界の人なら、既にどんどんプロとして活動をしている頃です。本来なら、あまりにも遅すぎる取り掛かりに、プロとして生きることは諦めることでしょう!

 しかし、彼は挑戦しました。当時自分に才能がないことも知っていながら。ただ、どうしても好きなことで自分を試したかったのです。それも何年何十年かかろうとも。

 これが「燃えるように生きる」ことでなかったら、なんと表現したらよいのでしょう?


 彼の人生を見ていると、私の大好きな吉田松陰、坂本竜馬、西郷隆盛などの「燃えるように生き抜いた」幕末の志士達を思い出します。共通するのは、保身を排し、人生のすべてを投げ打って、己が信じるままに生き抜いたことではないでしょうか。

 ですから、大きな社会的影響力と成果を残し得たのだと確信します。

たった一度の人生です。お互い燃えるように生きたいものですね!