私はこうやって天職を見つけた!


 私は高校生3年生の時に天職を見つけました。

では、なぜそんなに早く見つけられたのかを説明したいと思います。

 その根本的原因は、意外に簡単なのです。それは、私があまりにも、記憶力が悪く勉強ができなかったからなのです。成績がとてつもなく悪かったからなのです。

日本の偏差値(学校)教育では、完全に「落ちこぼれ」扱いでしたので、高校に入ってから、「このままでは僕は一生負け犬で終わってしまう!」と危機感をどんどん募らしていきました。

 ですから、絶えず残された人生で、何とか生き残る方法を模索していたのです。日本の学校教育では、偏差値が高かったり、成績が良い生徒は、優秀な子として評価され褒められます。私のように、何の勉強をしても出来ない生徒は、困った子なのです。問題児だったのです。

更に困ったことは、バカなのに、能力もないのに、私が変なプライドを持っていたのです。でもそれは、実は私を育ててくれた両親や周りの人への恩返しがしたかったのが最大の理由だったのです。

ダメなままでは、あまりにも申し訳なさ過ぎると、いつも肩身が狭い思いをしていました。そうなると勉強以外で何か評価されることはないかと探すしかありません。

スポーツという選択もありましたが、既に小学一年生からオリンピック選手になりたいと思っていたため、高校までひたすら競泳一色の人生を送ってきました。でも、当時すべてを賭けてきたその競泳でも、最終的に成果がぜんぜん出なかったのです。とてもショックでした。「失った青春返せ!」という感じでした。

そのお陰で毎日毎日葛藤し、考え悩み続けました。

「まだまだ残された長い人生を、どうしたら幸せに、充実感を持って生きられるのだろうか?」と。

 それでも、真剣に悩み考え続けたこともあり、徐々ではありましたが、最後の「敗者復活」の手段は、仕事がカギになることを悟り始めましたのでした。

 なぜそう思ったかと言うと、単純なのです。

ある時、テレビを観ていたら、「経営の神様」と言われていた松下幸之助氏がインタビューされていました。その中で、彼が、幼少より体が弱く勉強もできなかったため、高等教育を受けずに丁稚奉公を始めたと。そして、その後、商売が好きになり独立し、松下電器産業を創業して、世界的な企業へと育てたことを知りました。

 それは、私にとって、とても衝撃的なものでした。私のように勉強できなかった人が、短期間で世界的な企業を育て、「経営の神様」になったのです! それこそ、「敗者大復活」だったのです。

 インタビューの中で松下氏は、学校教育ではできない生徒だったのですが、社会に出て悟ったと言うのです。人生で一番大事なのは人間性であり、その人間性は人間と人間との触れ合いである職場、つまり仕事を通して最も磨かれると。

そして最後に、勉強ができなくても、その分仕事を頑張れば、社会貢献は十分でき評価もされると述べていました。従って、使命がある仕事を早く見つけて、頑張れば幸せで充実した人生が送れると、最後に言われていました。

勉強ができなかった私は、救われた思いがしました。

「そうだ! 仕事だ! 人より仕事で頑張ればいいんだ!」と。


ただ、生徒である自分には、仕事の知識などまったくありません。特に、どんな仕事をしたらいいのか、など思いも及ばないのです。

 幸い母が保険の外交員をしていて、保険商品を売っていた際、幼少の頃から見込み客に会いに一緒にくっついて行きました。そして高校生になった時、ふと思い出したのです。母が保険のセールスをするために、いっしょに行き、とんでもない数の人達と会っていたのを。

しかし、実際には、母は保険の話は一切せず、会った人の話を聞き、相談に乗ってばかりいました。それもとことん。

そんな生き方をしている母を、私はとても素晴らしいと思い、尊敬もしていました。人のために生きることの大切さをその頃から教わっていたような気がします。

「そうだ! 僕は母同様、人の相談に乗ることが好きなんだ! なんでもいいから人の相談に乗って稼げる商売はないかなあ?」

 そんな時です。本屋で見つけた本を通じて、「国際経営コンサルタント」をしていたY先生と出会ったのは。実は、Y先生も「国際経営コンサルタント」業こそしていましたが、母同様、人の相談に乗ったり、人助けばかりしていました。でも、母との違いがありました。それは、人の話を聞くことで、お金を貰っていたプロの相談屋だったのです。

 それを知って、私は心の中で叫びました。

「これだ! 私が探し求めてきた天職なるものは!」と。

 それからというもの、自分のその直感を信じ、プロの「国際経営コンサルタント」になるため一心不乱に全速力で邁進してきました。

 それから30年近く経った今、振り返って見て、その直感による選択はまったく間違えていなかったことに感謝しています。

「自分はなんて運がいいのだろう!」と。

 確かに、自分よりお金を持っている人、有名な人、偉業を成し遂げた人等々、成功者はいくらでもいます。しかし、長いようで短い人生で、18歳で天職と出合わせてくれた運命に感謝したいです。そのお陰で、その天職と出会ってからずっと幸せな人生を送らせて頂いています。なぜなら、私の場合、「人生=仕事」の等式が成り立っているからなのです。

 更に今は、「人生=仕事=天職=使命=人助け」なのです。


 人間が一番幸福を感じる時ってご存知ですか? 

人のため、社会のために生きていることが自分のためにもなっている実感を得た時なのです。つまり、結果的には「人のため+社会のため=自分のため」になるのです。

 最高の天職も同じなのです。

「自分ための仕事=人のためになること+社会のためになること」なのです。

最初は好きで始めた仕事でも、徹底してやっていくと人のためになり、社会のためになっていっているのです。不思議ですね!

 

 私の天職の見つけ方は、ちょっとユニーク過ぎるのかも知れません。しかし、天職を見つけるという尺度から見た共通点は、とにかく何事も真面目に一生懸命やることです。そして、天職を見つける努力、つまり様々な人と会い、情報収集し、勉強を怠らなければ、生きているうちにいつか必ず天職に出会うことでしょう。そんなに遠くない日に。

 なぜそんなことが断言できるのでしょう? 

実は、天職とはその人にとって一つだけではないからです。結局天職かどうかを決めるのは、あなた自身であり、他の誰でもないからです。

もしかしたら、あなたはもう天職についているのかも知れませんね! ただ、気づいていないだけで……