人よりピンチの多いあなたは、人より多くチャンスが与えられている
「『ピンチがチャンス』と受け止めて苦難を乗り越えていく前向な人こそ、大きく成長できる。そんな魅力的な人には、多くのファンが生まれ、皆が信頼してついていく」
私の「生涯の師」とも言えるメンター、E氏は、病苦・経済苦・投獄・非難中傷・名誉毀損・暗殺未遂など数々のピンチを乗り越えてきました。
おそらくこれだけの苦難と迫害を受けた人も少ないのではないでしょうか。
E氏は、10代で今の癌同様、当時の不治の病とされていた結核にかかってしまいました。医者から「30歳まで命はないでしょう」と断言されたそうです。
19歳の時には、人生の師、F氏と出会い、すぐに彼が経営する出版社に入社しました。しかし、間もなくその会社は倒産してしまいました。F氏を支えるため、大学に行くの
も断念せざるを得ませんでした。
そんな状況で、会社では一人去り二人去る中、E氏は最後の最後まで、F氏につききり、借金取りやヤクザから守り抜きました。
またある時は、突然無実の罪で拘置所に入れられ留置されてしまうピンチが襲ってきました。
そのように人をまったく疑うことをしなかったE氏は、信頼していた人々に随分と裏切られ、傷つけられてきました。それでも、誰一人憎むこともせず、自らが信じる正義の道を淡々と生き抜いたのです。
E氏が受けた苦難や迫害を紹介し始めると、一冊の本が書けるぐらいの量になるでしょう。
そんなE氏ですが、それぞれの大ピンチがある毎に、それこそ言葉にはならないほど大変だったと察しますが、その大変さをおくびにも出さず、悠々と乗り越えてきました。
同じ人間として、その精神的な強靭さには驚きを隠せません。
そんな人を私は勝手にメンターとしているわけです。恐れ多いことですが、とても誇りに思うと共に光栄です。
少しでも彼の生き方を見習いたくて、毎日弱い自分と戦っています。でも、残念ながら負けてばかりです。
ただ、E氏は励ましてくれています。
「最後に勝てばいいのです」と。
私にも今までの人生においてピンチが多々ありました。最初の大きなピンチは、高校受験の際です。
滑り止めにしていた高校を含め、一校だけ残して受験した6校全校落ちてしまいました。残った一校は、母の懇願により、願書だけは出していましたが、模擬試験で一度も合格圏内に入ったことのない「高嶺の花」でした。
どう考えても、軌跡が起きない限り、合格するわけがありません。でも、もうそこしか行く先がありません。
まさかのことでしたので呆然とし、ほぼ高校進学を断念することを諦めかけていました。諦めかかったその時、母からE氏の苦難と迫害の人生の話を聞かされました。
さらに、J・F・ケネディーが、政治学が苦手だったにも拘らず、克服して見事最後には米国大統領になれたこと。そして、野口英世が小さい頃の重度の火傷をし、身体的ハンディーキャップを負いながら乗り越え、初志貫徹して世のため人のためにつくす世界的な医者になったことも聞かされました。
中学3年生だった私は、感動で涙し身を震わせながら大反省しました。
「自分の人生は本当に甘かった」と。
気がついたら自然と決意していました。
「よし、ダメで元々だ。ピンチから一歩も逃げることなく、ケネディー大統領や野口博士のように、最後までやり抜こう! 挑戦することで最低でも人間的に成長できるではないか!」と。
それで奇跡を起こすことに挑戦したのです。
まず、暗記力と理解力が極端に悪かった私は、受験必須3科目の内の国語と英語を捨てました。試験日まであと一週間を切っていましたので、広範囲となる国語と英語の試験準備をしたところで時間がかかり過ぎます。それからでは遅過ぎ、効果が少ないと判断しました。
それで、残る数学で高得点を狙うため、山を張ることにしました。つまり、過去の入学試験問題集をすべてやり、予想問題を立てたのです。
分析していくと、問題毎に毎年出ているもの、2年に一度や3年に一度のものもありました。それぞれとても似ています。ただ、大体その出題頻度には明らかにサイクルがありました。
従ってそのサイクルに乗っ取って、細かく出題予想問題5問を立てました。
結果的には、その予想問題は見事に的中し、浪人することなく無事高校に進学できたのです。私にしてみれば、まさに奇跡を起こしたのです。
その後も、高校の卒業の不可、米国経営大学院の受験失敗、会社の倒産、脅迫、拉致、暗殺未遂等々幾多のピンチが襲い掛かってきました。
一時期は、米国でもホームレス&ジョブレス状態にまでなりましたが、E氏が数々の苦難や迫害を乗り越えてきたのを思い出し、次々にチャンスにへと変えてきました。
ですから、今日の私が無事にいるのは、E氏の存在のお陰だと思っています。