「ダメな人の悩みや葛藤は、ダメだった人にしかわからない」



 私はダメ人間で良かったと思っています。

 昔はダメな自分が嫌で嫌でたまりませんでした。

 自分のことを考えると落ち込んでばかりいました。お先真っ暗だったからです。

 しかし、ダメな自分をそのまま受け入れることを決めたら変わりました。物事を前向きに捉えられるようになりました。どんな難問も災難も受け止め、乗り越えようと思えるようになったのです。


 どうしてでしょう?

 それはある事件が発端になり、肝に銘じたのです。

 その事件は職場で起こりました。

 私は日本の大学を出た後、渡米し奇跡的にも、世界最大級の大手国際会計・経営コンサルティング会社に就職できました。

とても入れるレベルの英語力、専門能力、経験、知識はなかったのですが、3人の全面接官に気に入られたための入社となりました。

 そして、入社直後の2週間の研修終え、国際部に配属になりました。その時、いっしょに配属されたとても優秀なアメリカ人が何人かいました。いずれも、ハーバードやスタンフォードなど米国の超一流大学出身のアメリカ人ばかりでした。


 彼らが働き始めた時に、いつも言っていたことがありました。

「コピー取りや電話番。こんな雑用をするために、業界ナンバー・ワンであるこの会社に入ったんじゃないよ! いつになったら、まともな仕事をさせてもらえるんだ!」と。

 それを職場の先輩や上司も間接的に耳にしていました。それで、そんな傲慢な部下などいらないと思ったようで、文句ばかり言う部下を次々とクビにしていきました。


 一方私といえば、ダメ人間であるにもかかわらず、奇跡的に運良くその会社に入れてもらえたことで、毎日会社や先輩・上司に対して感謝の念が絶えませんでした。ですから、先輩や上司の手伝いになったり、喜んでもらえることなら、雑用でも何でもやらせて頂こう決め、実際にそうしていたのです。

 なぜ、そんなことが毎日快くできたかといいますと、自分がダメ人間であることを、よく知っていたからなのです。

 ダメな自分だからこそ、優秀な人には見えないこと、また感じ取ることができないことまで、見え感じられるのです。

 入社当時、確かに雑用ばかり押付けられました。優秀な人は、それを何の勉強にもならない単なる雑用としか思えなかったのです。

 しかし、私にとっては、プロとして大事な大事な心構えや誠実さを学ぶ最高のチャンスだと感じ取っていました。

 ですから、雑用でも頼まれれば、私にとっては将来につながるとても大切な仕事に思えてならなかったので、一生懸命やりました。

 その何事に対しても真剣な姿勢が高く評価され、どんどん出世させて頂きました。


その努力は不器用でダメな人間だったからこそできたのです。

 従って、既に述べましたが、今でもダメ人間で良かったと思っています。

でも、ダメ人間だとわかっているだけ、ダメな部分であることの一つひとつをいつも明確にし、解決していく努力の癖がつきました。

 そしたら、優秀な人より評価され、まだ仕事もできるようになっていったのでした。