勉強の真の目的を考える


 勉強する目的は何でしょう?

 こんなこと今更と思う方がほとんどでは。しかし、勉強する目的や理由がわかっていない人が意外に多いこと多いこと。

 私自身も学生時代には、できなったこともあり、自己正当化するために「勉強しても金儲けができるわけでも、生活がよくなるわけでもないから、意味がない!」と、偉そうに勉強している人に言い切っていました。

 自分がバカなのに、頭がいい人や一生懸命勉強をしている人を捕まえては、バカにしていたのです!

 そんなことを言っているうちに段々学校にいられなくなっていったのです。勉強しないことで、人間性が全然向上しない問題児扱いをされてしまいました。

 勉強しない分、無知をいいことに、自分がいつも正しいと思っていましたから、どんどん性格が悪くなっていったのでした。お陰で友達も全然できず、遂には孤立してしまいました。

 その時、体で覚えました。人は向上しない人間を相手にしないことを。

結局、母からの指摘もあり、成績向上のためではなく、少しでもましな人間になる目的で勉強を始めました。

元々頭が悪いので、相変わらず成績は良くなりませんでしたが、その勉強に対する姿勢が、社会人になって私を大きく飛躍させてくれました。


 私は新卒採用のための面接で、「なぜ勉強すると思いますか?」という質問をよくします。すると、大抵、「知識を増やすため」「資格試験にパスするため」「仕事ができるようになるため」「出世するため」という答えが返ってきます。

 勿論、人それぞれ勉強する目的が、その都度その都度の事情に合わせてあっていいと思います。

 しかし、間違えてはいけません。長いようで短い人生においてなぜ勉強するのかを、です。

 実はこの質問の究極の答えは、皆共通であるはずです。

 つまり、我々は、人間的に成長するために勉強するのです。言い換えると、人間性を高め、人間としてより総合力をつけていくために、勉強するのです。

 ですから、知識を増やすためだけでも、専門能力を高めるためだけでもありません。むしろ、それらは、二の次です。

 どんなに知識を増やしても、専門能力を高めても、いっしょに人間性も高まっていかなければ、本来の勉強の目的からみると本末転倒なのです。

 知識や専門能力のために勉強していれば、頭でっかちになるだけで、人間的には成長できません。そうであれば、周りの人から好かれません。


 勉強の究極の目的が、人間性の向上ですから、知識が増えたとか、能力が高まったという技術的、結果的なことよりも、どれだけ努力したか、どれだけ弱い自分に挑戦して勉強できたかということの方がもっと大事であり、意義深いのです。

 勉強したことのプロセスでどれだけ努力したか、どれだけ工夫したか、どれだけ葛藤・挫折しながらも乗り越えてきたかが将来への精神的財産となります。

「ウォルマート」を創業し、世界最大の流通企業として育て上げた、サム・ウォルトン氏がよく語ってくれました。

「一生勉強ですね。勉強すればするほど、自分が人間的にまだまだであることがわかり、歳ばっかりとっていくのが恥かしくなります」と。

 ぜひ、「生涯勉強」の精神で、毎日勉強して人間を磨いていただきたいものです。