心を合わせることのすごさ

中国の長い歴史の中には、大変示唆に富んだ史話が数々あります。その一つに、次のような話があります。

殷(いん)王朝時代の末期に、悪王として名高い紂(ちゅう)という王がいました。臣下の言葉にも耳を貸さず、農民達を重税で苦しめた横暴な王だったそうです。この紂王は、周の武王の軍隊に攻め込まれ、七十万の兵を率いて戦いましたが、武王率いるわずか八百の兵に滅ぼされたそうです。悪名高い紂王に比して、武王は約八五〇年続いた理想的な周王朝を開いた名王とされています。

なぜ紂王の七十万の軍は、武王のわずか八百の軍に負けてしまったのでしょうか? この両者の間には、決定的な違いがありました。殷の紂王は、横暴な君主で、権威と力を振りかざし、民の上に君臨していました。冷たく傲慢で民を見下し搾取することばかり要求する悪主から、民の心は完全に離れていました。ああ、もっといい指導者が現れないものかと、名王の出現を渇望していたのではないでしょうか。

反対に、周の武王は、民の心をしっかりつかんだ名君で、父・文王から継いだ周の国を天下一の国家にするために、力を尽くしました。そんな武王を民は尊敬し、この王と共に平和で豊かな国を作ろうという理想と意欲に燃えていました。そして、悪政に苦しむ殷の国を攻め滅ぼし天下を統一しようという大きな目的のために、一丸となって戦ったのです。

わずか八百という少ない兵でも、心を合わせ、大きな目的と理想に向かって一致団結して臨むならば、何十倍もの力を出すことができるのです。逆に、七十万という多勢の兵であっても、それぞれの心が離れ、目的を見失い、不平不満が溜まったバラバラの心では、まともな戦いはできません。

どんなに力があっても、思うように出し切ることはできないばかりか、かえって力が分散し、敵につけ込まれるというマイナス状態を招くのです。

仏教では「異体同心」、つまり他人でも、心が同じであることの大切さを説いています。この史話はその根拠となる話として知られています。

勢力が少なくても、それぞれの心さえピッタリ合っていれば、大きな目的も達成できますが、心がバラバラであれば、どんなに大勢いても、また威力を誇っていても、何事も成就することはできません。