私は、小学生の時から、勉強が大の苦手でした。記憶力が人より極端に悪かったため、勉強しても、すぐ忘れてしまうのです。ですから、試験でできた例がありませんでした。

そのお陰で、人と同じ事をしていたら、一生苦しまなければならないことを小学生で悟りました。おそらく、小学生の時から、「働くということ」を考えざるを得ない状況に陥っていたのだと思います。勉強ができないなら、頭を使う以外の仕事で成果を出そうと。

母もよく言っていました。

「直太は、勉強ができないし、好きでもなさそうだから、義務教育が終わったら、働き始めた方がいいね。どうせ学校行っても、学べないんじゃ、時間と学費がもったいないからね・・・・・・」

確かにその通りです。嫌いなことで一生懸命やっても、なかなか成果は出ません。ですので、私もその気で、どんな仕事をすればいいのかよく考えるようになりました。

幼稚園に行っていた時から、トンカチを持って木で何か作るのが好きでしたので、大工さんになりたいなあって、漠然と思っていました。でも、実際に大工さんについて一緒に行動したところ、自分が高所恐怖症であることがわかり、現場で仕事ができないことがわかりました。それで泣く泣く諦めたのです。

その後、両親が、寿司が大好物であることがわかり、当時、バカな息子として苦労や迷惑ばかり両親にかけてきたので(ちなみに今も!)、何とか報いたい、喜ばせたいと思うようになりました。ですから、寿司職人になって、両親にいつでもお腹いっぱいお寿司を食べさせたいと思ったのです。

ところが、近所の寿司屋さんにちょくちょく行っているうちに、寿司職人になるためには、とんでもない修行を長年しなければならず、そしてその上、鬼のような親方について逆らわず、なんでも言われた通りスピーディーにこなさなければなりません。

私は威張る人は大の苦手なのです。ですから、性にはとても合わないことがわかりました。 

そうこうするうちに、今度は、子供ながら車の運転に興味を持ちました。ゲームセンターのカーレースのゲームをやっているうちに、将来車を運転する仕事をしたくなったのです。  

ある時、ハッと思いました。

「お金をもらって一生楽しくドライブできるなんて、私に合ったそんなすばらしい仕事はないのではないか!」と。

それがタクシーの運転手(乗務員)だったのです。それで、何度かタクシーに乗せてもらっているうちに、たまに運転するのは楽しいのですが、毎日朝から晩まで運転することは大変なのがよくわかってきました。特に「厭な客でも拾って、文句や厭味を言われながら運転しなければならないなんて、なんて苦痛な仕事だろう!」と思うようになりました。

そんなことで、タクシーの運転手になる夢もいつしか消えてしまいました。

でも人と同じことをしたら、自分には能力がない分苦労することは歳をとればとるほど痛感するようになりました。

高校3年生になってついに「これだ!」という天職を見つけたのでした。それが今やっている国際経営(起業)コンサルタントなのです。

どうやって見つけたのでしょう? ある時、本屋に行ったら、たまたま「英語留学と国際派就職」という本が目につきました。ペラペラ捲ってみると、著者であるY先生は、ご自身のことを、「国際経営コンサルタント」と紹介していました。

将来海外に行きたかったことと、本の内容が非常に面白かったため、Y先生にお会いしたくなりました。しかし、相手はバリバリの国際経営コンサルタントです。

「私のような、海のものとも山のものともわからないバカな一高校生に、簡単に会ってくれるのだろうか?」

お会いしたい気持ちと、現実との葛藤をしながら、勇気を出して「ダメで元々だ!」ということで、いきなり本に書いてあった彼の事務所に電話してみました。そしたら、まず秘書の女性が出た後、そのY先生がおられるとのことで、すぐにY先生に繋いでくれたのでした。

「はい、Yですが…」

「あ! Y先生ですか! 御著書を読んで、先生みたいになりたいと夢を持った一高校生です。もし、ご迷惑でなければ、ご指導をお受けしたいのですが、お会い頂けますか?」

「ああ、いいですよ。事務所は銀座にありますから、秘書とアポを取って来て下さい。」

「はぁぁい… ありがとうございます! ぜひお伺いさせて頂きます!」

 早速アポを取り、銀座のY先生の事務所に向かいました。ドアを開けようとした瞬間、胸が高鳴り、張り裂かれそうなくらいドキドキしてきました。帰りたい気持ちと戦いながら、なんとか勇気を振り絞ってドアを開けました。

すると、そこにはY先生がニコニコしながら立っていました。

「よく来たね! 待ってたよ…」

Y先生は私の訪問を心から歓迎して下さり、たった30分の面談でしたが、国際的なY先生の虜になってしまいました。

その後、私は毎週のようにY先生の事務所をお邪魔するようになりました。先生は、いつ行っても、いらっしゃれば美人の秘書二人と楽しく仕事をされていました。あまりに伸び伸びと楽しそうに仕事をしているのを見て、「これだ! この仕事だ!」「僕もY先生みたいになりたいなあ・・・」「Y先生と同じ仕事がしたい!」と思うようになったのです。

当時自分の適職を見つけるために、色々な方の職場にお邪魔していました。実際に働いている様子を見れば、職業を選ぶヒントになるかも知れないとの微かな期待からです。

Y先生ほど、心から楽しそうに仕事をされている人を見たのは、初めてでした。とても衝撃的でした。と言うのは、お会いしに行った皆さんは、仕事をしているのが大変そうで、且つ辛そうでした。

最終的には、Y先生を通して「凄くカッコいいなあ!」と思い、ぐいぐいその「国際経営コンサルタント」という職業に魅惑されていったのです。

Y先生は、国際経営コンサルタントになりたいのなら、日本の大学でしっかり経営学を勉強し、米国の経営大学院(ビジネス・スクール)で学ぶように言われました。

しかし、私は英語が大の苦手で、勉強も大嫌いです。試験という試験では失敗ばかりしてきましたので、苦手な英語を使って米国のビジネス・スクールに留学することは、99%不可能としか言いようのないものでした。

しかし、諦めたら可能性はゼロになります。

とにかく、Y先生が「大丈夫だ! 人間死ぬ気になればなんでもできるよ! 日本の二流大学で成績の悪かった私だって米国トップ・ビジネス・スクールを卒業できたんだから、君にもできるよ!」

 私はあまり人の言うことをすぐには信用しません。特にバカな自分に「頑張ればなんとかなるよ!」と言って激励してくれた人は山ほどいました。でも、頑張っても、なんともならなかったのです。ですから、Y先生にそう言われても、普通あまり響かないはずだったのですが、不思議にも、凄い説得力を感じました。直感で、その後の人生のすべてを賭けてみる気になりました。

「騙されたつもりで頑張ってみよう! 今更何も失うものはないから…」

 おそらく、私にとって最後のチャンス、要するに「敗者復活戦」のような気がしてなりませんでした。

「これで頑張れなければ、僕の人生は終わってしまう!」と。

Y先生は、更に私にアドバイスをしてくれました。

「どこでもいいから日本の大学に入り、ガリ勉をしなさい! どうせ、皆受験勉強で疲れ果てて、大学で勉強なんかしないから… とにかく点取り虫となることに徹しなさい! 高校と違って、大学は授業に出まくって、授業で聞いたことだけ一生懸命勉強していれば、いい成績がとれるから! 君が米国のビジネス・スクールに合格するためには、それしかないよ! とりあえず、全成績で「優」(最高の評価)を目指しなさい!」

私は昔から単純で思い込みが激しく、何でも直感で決めてきました。そして、決めたら突進します。これで随分多くの失敗もしましたが、お陰様で、人生で最も大事なことをすべて直感で決めてきて、現在まで外したことはありません。

ですから、私は本当に大学時代をガリ勉で通しました。米国に行きたいために、一心不乱で学びました。Y先生が課題としてくれた、ほぼ全部の科目で「優」が取れました。

Y先生がアドバイスしてくれた通り、私はなんとか米国のビジネス・スクール(テキサス大学経営大学院)をギリギリの成績で出て、20年近く米国で「国際経営コンサルタント」として実務をこなしました。

そして、今、日本でも念願の「国際経営コンサルタント」をやっています。ですから、Y先生は、私のメンター(師匠)でもあり、恩人でもあるのです。

そんなことから、Y先生には、私が日本で国際経営コンサルティング会社を設立して以来、相談役を引き受けて頂いています。今でも会社の相談事で定期的にY先生とお会いするのですが、お会いする度に、お互い当時を振り返り、笑い懐かしがります。

もっと面白いことは、Y先生の強い要請から、私は彼が社長をしている会社の会長を4年前から引き受けています。

本当に人の「縁」って不思議ですね! 本屋でたまたま目にした本を頼りに、ずうずうしく著者である大先生の事務所に押しかけ、それからその人と「持ちつ持たれつ」の一生の付き合いになるなんて…… 

皆さんも、会いたい人にはどんどん会ってみて下さい。遠慮は禁物です。相手も同じ生身の人間でいつかは死ぬのですから! 偉いとかお金持ちとか関係ありません。それによって、人生がいい方向に大きく好転するかも知れませんよ。

私は本当に大事なことを決める時に、いつも直感で決めてきました。

例えば、高校3年生の時に、英語もできないのにいきなり米国でホームステイすること、大学を卒業したら、就職先や留学先も決まらないのにすぐに渡米したこと、ニューヨークで就職したばかりの際、ダラスに移住すること、まだビジネス・スクールにも合格していなかった時、ビジネス・スクールで教えること、せっかく米国でビジネスが軌道に乗り始めたのに、すべてアメリカ人に譲って日本に帰国すること等々。人生の岐路では、私はいつも100%直感で決めてきました。

実は、直感は科学的なものなのです。その人が長い人生において、様々な経験と知識、更に自己の長所・短所を見てきて、それらすべてが、脳に無意識の内にデータベース化されているのです。

ですから、何か決めなければならない時、似たような過去の出来事や情報が一瞬にして、且つ無意識の内に脳から収集されて、直感として現れるのです。

「働くということ」は、本来楽しいことであるべきです。ただ、楽なことをするから楽しいのではなく、好きなことをしながら自己実現ができるから、例え仕事の内容自体は大変で厳しくても、結果的には楽しくなっていくものです。

「仕事の持つ厳しさの中に、働くことの本当の楽しさが味わえる」

これは、私が日々実感していることです。真剣にコツコツやれば、嫌いでない仕事なら、結構楽しくできますよね!

ですから、私にとって「働くということ」は、「仕事を一生懸命楽しむこと」なのです。一生懸命やれば、ご褒美として人間性も向上してきます。一石二鳥ですね!