ひょんなことから高校を卒業する直前に、「国際経営コンサルタント」になるという目標を掲げることになった。自分の能力を考えると夢のまた夢。

夢を持つのは簡単だ。大事なのは、その後の努力だ。当時どうしたらその夢が実現できるのか、日々悶々とするようになった。考えれば考えるほど気が遠くなる。

 遂に、出会った国際経営コンサルタント、Y氏にアドバイスを受けることに。

そしたら、アメリカの大学に行くように勧められたのだった。

ところが、がっかり。私の高校の成績があまりにもひどく、英語もまったくできなかったことから、アメリカ大学留学の話は一瞬にして頓挫。

「それじゃあ、ビジネス・スクール(経営大学院)を目指せば」とY氏は言う。

それで、どこでもいいから入れる日本の大学に潜り込む。そして、大学でがり勉をして、いい成績をとるように、と当面の計画を勧められる。

その通り、付属高校からなんとか大学に潜り込んだ。

実は、これには裏がある。大学への推薦試験には二度も落ちたが、勉学の意欲が評価され、三度目の正直で合格を勝ち取ったのだ。ほとんど裏口入学に等しかったのでは……。しかし、〈不正はしていないのでいいっか~〉ということで、ためらいもなく堂々と胸張って入れて頂いた。

無事入学後、私は目の色が変わった。

〈これが再起の最後のチャンスではないか〉との思いから、大学での四年間は、狂ったかのように勉強した。無遅刻・無欠席・無早退、更に全授業の予習・復習を完璧に。

その努力が実り、大学での成績は、試験会場を間違えて試験が受けられなかった科目「体育」を除いて、オール「優」をどうにかこうにか確保した。バカでも「成せば成る」を実感することができた。

その血と汗と涙の結晶である大学での成績を持って、アメリカのビジネス・スクールを7校受験。必死になって準備したので、〈頭は悪いけど、大学ではいい成績をなんとか確保したから、どこか一校くらない入れてくれるだろう」と。かすかな望みを持って合格通知を待ち続けた。

しかし、現実は厳しく残酷だった。受けた7校全て不合格となった。

夢はもろくも崩れ落ちた。涙も出ないくらい悲しかった。既に渡米していた私は、その後一年間無気力となり、ホームレス&ジョブレス状態に。

〈もうどうでもいいや! どうせ僕はなにやってもダメなんだから〉と。

 そのように毎日ブラブラしたいたところ、友人の紹介で知り合い、親しくなったドイツ系アメリカ人、T婦人から、突然指摘を受ける。

「ネイト(私のニックネーム)! あなたは、今まで自分のためだけに努力してきたから、何事も成功できなかったんだよ。そのまま自己中心的な生き方を続けていったら、一生成功できないから」

「え! 僕が自己中心的だと? 何でそんなことが言えるの?」

「わかるわよ。だって自分にとってプラスになることしか、あなたやってこなかったでしょ」

「そうかもしれないけど、経済的にも能力的にも余裕がないから、しょうがないじゃない。人のために何かしている場合じゃないから。まず、自ら成果を出さなきゃ。でも将来、余裕ができたら、人のために何かするつもりだよ」

「だから、ネイトはダメなのよ。大体『将来、余裕ができたら、人のために何かするよ』なんて言う人で、本当に余裕ができて何かしたことを見たことがないわ。とにかく、今が大事なのよ。今の何もないときに、世のため人のために生きれるか、よ。そうしたら、夢は必ず叶うから」

「じゃあ、聞きたいことがある。僕みたいにすべてにおいて余裕がない人は、どうやって世のため人のために生きればいいの? お金を寄付できるわけじゃないし、若いからまだとても人にアドバイスなんかできないよ」

「あまり仰々しく考える必要はないのよ。簡単簡単。困っている人や悩んでいる人の相談に乗ってあげるだけでいいのよ」

「だから、相談に乗る余裕がないって言ったじゃない!」

「だけど、人の話を聞くだけの時間はあるでしょ?」

「今ジョブレス&ホームレス状態だから時間だけはあるけど……。人の話を聞くことで本当に世のため人のためになるの?」

「なるわよ! だって、話を聞いてあげること自体、困っている人や悩んでいる人を勇気付けることになり、世の中にためになるのよ。人は何もしなければ孤独なのよ。困っていることや悩んでいることを誰かに聞いてもらいたいんだから。解決してもらえなくても、聞いていっしょに悩み苦しんでもらえると、物凄く有り難いものよ。『自分は一人じゃないんだ! 自分にはいっしょに悩んでくれる友、心配してくれる友がいるんだ!』ということで、勇気が出てきて、また頑張る気持ちになれる。これは立派に人を救うことになるからね。これが世のため人のためにならなきゃ、うそよ!」

「本当かなあ…?」

「信じられないんだったら、ごちゃごちゃ理屈こねてないで、まずやってごらんなさい。それで本当に世のため人のためになることが実感できるから。それからそうして生きていったとき、夢は必ず叶うわよ。それを体験してきた私が保証するから」

確信あるTさんの言葉を聞き、少しずつ〈自分のためではなく、世のため人のために、試しに生きてみようかな〉と思うようになった。そして、言われる通り、まず困っている人や悩んでいる人の話を聞き始めたのだった。

そんな風に少しずつ人の話を聞き始めて半年後のこと。何度も困っていることや悩みを聞いてあげていたある人が、新聞の求人募集広告欄の切り端を持ってきた。見せられてビックリ。元々ビジネス・スクール卒業後、入りたかった世界最大級の国際会計・経営コンサルティング会社、KPMGピートマーウィック社の求人募集広告だったからだ。

「この会社って、ネイトが入りたいって言っていたところじゃないの?」

「そー、そうだよ。よく覚えていたね!」

「そりゃそうだよ、ネイトは僕の恩人だから。その恩人が何度も言っていた会社名くらい覚えるよ。将来そこで働きたいって言ってたじゃない!」

 しかし、その募集広告をよくよく読むと、採用のための条件(応募資格)は4つもあった。

世界最大級国際会計・経営コンサルティング会社、KPMGピートマーウィックのニューヨーク本社でバイリンガルコンサルタントを急募!

応募資格

(1) アメリカの大学または大学院卒(ただし、会計学又は経営管理学専攻)

(2) 英語と他の言語(できれば日本語)のバイリンガル

(3) 米国公認会計士(CPA)か、CPA試験の科目合格者

(4) 会計・財務又はビジネスの実務経験3年以上

残念ながら、私はどの条件もまったく満たしてなかった。

どうしようか迷った挙句、当って砕けろということで、経歴書だけでも送ってみることにした。どの条件も満たしていないため、可能性は限りなくゼロに近い。

〈まあいいや。経歴書送ったからといって、何も失うものはないし。ちゃんとした経歴書を書くのもいい人生勉強だ〉

と、開き直り、いかにそこで働きたいかを熱く語った手紙を添えて、経歴書を送ったのだった。今までこんなに気合入れて、書類を作成したことはなかった。

 一ヶ月が過ぎ、二ヶ月が過ぎました。

〈やっぱりダメだったか……〉と諦めかけたある日、突然電話が。相手はKPMGピートマーウィック・ニューヨーク本社国際部の責任者だった。それも日系人ぽい。オーラのある流暢な日本語で一言。

「あー、ようやく連絡ついた! 経歴書に記載されている電話番号に何度も何度も電話したけど、誰も出ないから。ようやく出たと思ったら、違う人だった! 出た人に聞いたら君は既に移動しているとのこと。この電話番号は君の友人から教えてもらったんだよ。君は、なんでそんなに住むところを転々としているのかね? まあそんなことどうでもいいや。決算シーズンで忙しかったからすぐに連絡できなかったが、落ち着いたから、とにかく、一度面接のためにニューヨーク本社においで。いつ来れる? ちなみに航空運賃や宿泊費は、こちらでもつから」

 採用条件を一つも満たしていないのに、何が相手に面接をさせる気にさせたのだろうか。不思議でしょうがなかった。

強いて言うと、夢を実現させたいという私の熱い思いが伝わったのでは。本来、どの条件も満たしてなかったら、応募はしない。まず諦めてしまうものだ。

 しかし、私は諦めなかった。いい意味での図々しさが時には必要だと信じたからだ。

 それを、相手は私に仕事の自信があるとでも判断したのだろうか。

学んだことは、できるかできないかではなく、やるかやらないかが勝負の分けれ目となること。何ごとも思い切って挑戦する精神が、青年には必要だ。それが、お金、経験、知識、人脈、信用、地位、名誉のない青年の青年たるゆえんなのだ。

 頭のいい人に特に多い傾向だが、結果を先に考えてしまうため、何も行動を起こさないでいることがほとんど。

いつも結果は後からついてくることがわかっていないのだろう。まず行動を起こすことだ。

 夢は見るものではなく、実現に向けて努力するためのもの。できること、思い浮かぶことは何でもやってみることだ。とにかく徹底して頭を使うしかない。頭に自信のない人は、体を動かす。そうすることで、突破口が見えてくる。

 苦しいのは皆同じ。でも、絶対に諦めないこと。成功するまで。それが成功のカギだから。