今、『私が3年間で頭角を現した秘密』(仮題)の本を書いています。これから、時々その原稿を

このブログに乗せます。以下最初の原稿です。


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この世の中で、幼い頃からの夢を実現できた人はどれくらいいるだろうか。もしくは就職する前の学生時代の夢を実現した人はどれくらいるのだろう。

ほとんどの人は、段々歳を重ねる毎に現実の厳しさを思い知らされ、どこかで妥協しながらその日その日を生き抜いているのではないだろうか。

 私は何とかして高校生時代の夢を実現することができた。才能も能力もなく生まれ育ったことから、人には言えない努力を何度も重ねながら。

 私が偉いからではまったくない。世の中には大きな夢を持ち、私の何倍、何十倍もの努力や苦労をしてきた人が山のようにいる。だから、彼らは、夢を実現させた。

 大事なことは、諦めないということだ。私は彼らの真似をしただけだ。


 子供の頃から、悲しいくらい勉強ができない子だった。理解力と記憶力は最悪。そして致命的だったのが国語力までが、著しく他の人に比べて劣っていたのだ。

それで質問されても、そもそも何を聞かれているのかが、まず理解できなかった。だからテストの点数はきまってクラスで最低。

言動に出さないようにしていたようだが、母はそのことを絶えず悩んでいたらしい。私のことを不敏に思ったに違いない。


 そんな私に転機が訪れたのは、高校3年生の夏休み前。ある事件が起こった。

将来を案じていた担任である英語科の先生が、アメリカへの夏休み期間中短期ホームステイを強く薦めてくれたのだ。

私は大いに困った。とにかく行きたくない。

〈母国の国語が全くできないのに、異国の言葉である英語を基礎にした生活などできるわけがない〉と思ったからだ。

 しかし、担任の先生は諦めなかった。遂に、母に電話。

「浜口君にとって、これが最後の蘇生のチャンスになるかも知れません。お母さん、行かせてあげて下さい! 私が全責任を持ちますから」

「はい、先生お願いします。息子は必ず行かせます!」

 このやりとりを説明後、母は私にそのホームステイに絶対に行くよう言い放った。

 行くことに抵抗していたものの、それによって人生について深く考えざるを得なくなった。

このまま何事にも中途半端に生き続けても、社会人としてうまくやっていけないことはわかっていた。

そこで思った。ここは一つ、〈異国の地アメリカで、今までとは違う文化・環境で人生を見つめ直してみよう〉と。〈そろそろ敗者復活の糸口を見つけたい。そのきっかけに、このホームステイがならないのだろうか……〉とも。

 

生まれて初めて行った成田国際空港で、アメリカに飛び立つ直前、母が最後に言った言葉が忘れられない。

「直太、行って来い! アメリカに行って、男になって帰っておいで! お母さんは期待しているから」

 太平洋戦争の出陣でもあるまいし、なぜアメリカに行くことが、男になれるのか。まったく意味不明。

〈勘弁してよ。ただせさえ、いやいやながら行くんだから〉と、返す言葉もなく心の中で叫んでいた。


 アメリカに行ってみたら驚いた。文化や風土は、私には恐ろしく合っていたのだ。

とにかく自由な国。最低限の秩序さえ守れば、あとは全て自主性に任されている。

学校の授業も日本的な決まりきまったものではない。長所を伸ばす、大らかな教育プログラムが展開されていた。

ゴルフ、車の運転練習、ダンス、水上スキー、リンゴ取り……。

これが高校のカリキュラムだろうか!

本当にビックリしたし、嬉しかった。こんな高校で過ごしたかった。

 私は決めた。〈いつか必ずアメリカに帰ってこうよう〉と。そして、〈日本ではダメ人間だった自分を、人種のるつぼ、大国アメリカで試してみよう!〉と強く心に誓ったのだった。

 

 さてアメリカで何かをすることは決めたが、何をやるべきかがまったくわからなかった。でも、どうしてもアメリカに戻りたかったので、毎日考えに考え抜いた。

そんなある時、妙案が浮かんだ。

既存の企業で働いても、私みたいな能力のない者はダメ。サラリーマンをやっても一生ヒラ社員のままで終わることは明らかだ。だから他人がやらない何か新しいこと、違ったことをするべきだと思った。

そしたら、出会ってしまった。「国際経営コンサルタント」という職業に。

当時は、まだあまり世間に認知されていないこの職業をしている著者Y氏が書いた『英語留学と国際派就職』という本を、たまたま本屋で見つけたのだった。

早速、本の巻末に出ていたY氏の銀座の事務所に電話し、アポを取り、すぐに会いに行った。

初めて訪ねて来た高校三年の劣等生を、Y氏は事務所でニコニコしながら、「やー、よく来たね!」と温かく迎えてくれた。

 Y氏の人間的な魅力に引かれて、その後も会いに頻繁に事務所を訪問。その度に微笑みながらカッコよく英字新聞を読んでいる彼がいた。その姿を見て直感がビビット。

〈なんだかよくわからないけど、世界をまたにかけた、Y氏がやっているそのカッコいい仕事したいなあ……〉

 その職業こそが、その後、私のライフワークとなる「国際経営コンサルタント」だった。


彼という人間と「国際経営コンサルタント」業を知れば知るほど、天職だと思うようになった。なぜなら、そんな職業はほとんどの人は知らなし、知ったとしても、まともな人は、そのような怪しそうな職業など目指していなかったからだ。つまり、劣等生である私でも、その分野で頭角を現すことができるのではないかと、妙な自信が湧いてきたのだ。

「知らぬが仏」。本当に知らないということは恐ろしい。

その後、本当に「国際経営コンサルタント」になって現実の厳しさを思い知らされる。蓋を開けてみれば、競争相手は、プロ中のプロ。それもそのはず、社長さん相手に経営支援や指導をするという相当経験や能力や知識がないとできない仕事。「超」優秀で切れ者コンサルタントとの戦いで、悪戦苦闘の毎日となった。


 しかし、当時は、この新しい分野で道を究めたいと真剣だった。既にどうしてもなりたい職業となっていたのだ。

若いって凄いことだ! 本当に怖い者知らずだから。

 どうしたら「国際経営コンサルタント」になれるかを徹底的に調べまくった。ところが、まったく情報を得られなかった。それもそのはず、そんな職業は、世の中ではまだ正式には成立していなかったのだから。

遂に「国際経営コンサルタント」であるY氏に相談した。

「我々の主な仕事は、国際的なビジネスのお手伝いをすることなんだ。だから、ビジネスの世界での国際語である英語が話せるのは当たり前で、その上国際的なビジネス知識がないとダメだ。特に、世界のビジネスの中心地であるアメリカの」

「今後、どうしたらいいのでしょうか?」

「まず、アメリカの大学に行くことを勧めるね」

「はい、そうします! それでは、入るためにはどうしたらいいのでしょうか?」

「外国人がアメリカの大学に入学するためには、TOEFLで500点以上取らないとダメだよ」

「はあ…。でも先生、なんですか、その『トーフ』というのは?」

「『トーフ』じゃないよ。T・O・E・F・Lと書いて、『トーフル』って呼ぶんだよ。英語を母国語としない人のための英語試験のことだよ。一度受けてみてごらん。それから、君は高校三年生だから、高校の成績も問われるよ。今までの成績はどう?」

「すみません。最悪です。五段階評価で、ほとんど一かニです」

「それじゃあ、無理だ。頼み込んで入れたとしても、その成績じゃあ入れてもらえそうなところは、『超』三流校だろうからね。そんな大学出ても、エリートばかりのアメリカのコンサルティング業界にはまず入れないだろうし、万が一採用されたとしても、まったく通用しないだろうね」

「え~。それでは、私は先生のような『国際経営コンサルタント』には、もうなれないということでしょうか?」

「う~ん、厳しいけど、まだ方法はある。どこでもいいから、日本の大学に潜り込み、がり勉をして、『優』ばかり取り捲ることだよ。そしたら、アメリカのビジネス・スクールに行ってMBAを取ればいいから」

「またまた、すみません。『ビジネス・スクール』って、日本でいうビジネスの専門学校のことですか?」

「違うちがう。大学を卒業した後、進学する大学院のことだよ。ビジネスの分野は、他の専攻と異なり、『経営大学院』と言って、特別にプロのビジネス管理者を養成する大学院があるんだ。プロフェッショナルスクールとも呼ばれているけどね」

「わかりました。ところでMBAって何ですか?」

「何にも知らないだね。まあ、高校生だから知ってるほうが、珍しいっか。無事ビジネス・スクールを卒業できると、MBA、つまり経営管理学修士号が取得できる。それで一流のコンサルティング会社に就職しやすくなるから。ビジネス・スクールで何とかいい成績を取って、コンサルティング会社に入ってプロのコンサルテントとしての経験を積むんだ」


そんなことで、高校の成績が悪過ぎるのと、あまりにも英語力がなかったことから、アメリカの大学にはとても太刀打ちできないのがわかった私は、「ビジネス・スクールを出て、一流のコンサルティング会社に勤めて修行する」という目標を目指すことになった。

 その裏には、「一流の国際経営コンサルタントになるぞ!」という夢があった。

人生を振り返ってみるとつくづく思う。絶対に実現したい夢や目標を持ち、諦めずに、努力し続けていると、人間は不思議とどんどん力が湧いてくるものだと。だから、皆さんもまず、夢を持ってほしい。夢さえあれば、諦めなければ、死ぬまで夢を追い、頑張り続けられるから。