「どんな時でも、どんなに辛くても、命ある限り心に太陽があるが如く熱く熱く生き抜こう。生きていれば、道は必ず開けるから。

 人間生きていれば、窮地に立たされることは誰にでもあります。

突然の家族の死、重病、会社の倒産、大型詐欺、家の全焼、大地震、殺人事件に巻き込まれる等々。人生山あり谷ありです。

 私は前々から、「人生は命懸けの戦いだ」と主張してきました。いつ何が自分の身に降りかかるかわからないからです。

 私の友人は、2001年9月11日に起きた、あのアメリカ同時多発テロ事件で亡くなりました。

ハイジャックされた後、世界貿易センタービルに突入した、ボストン発ロサンゼルス行きユナイテッド航空175便に乗っていたのです。

当時、彼の帰りを家で待っていた奥さんは子供を身ごもっていました。

 些細なことで出張からの帰りを延期したため、本来乗るはずではない便に搭乗したのでした。一瞬にして起こったこの悲劇を、誰が予測できたでしょう。

もう一つ。他のアメリカ人の友人は、たまたまある殺人事件の場所に居合わせただけで、無実の罪で捕らえられ、1年間刑務所に入れられてしまいました。

彼は、それまでは、一流大学出のエリート・サラリーマンで、将来の社長候補とまで言われ、会社では出世頭だったそうです。

ところが、その事件に巻き込まれたお陰で、奥さんはノイローゼで仕事ができなくなりました。その後は一挙に奈落の底に。自己破産、流産、離婚、そして、遂には、医者もわからない不治の病にかかり、亡くなってしまいました。

更に追い討ちをかけるが如く、息子の牢獄で失意のどん底にあった病弱の彼の両親は、そろって自殺してしまいました。

彼の無実が証明されて、刑務所から開放された時には、時既に遅しです。

両親、妻、生まれてくるはずだった子供、家、社会的信用などすべてを失っていたのです。

すべては、たまたま殺人現場に居合わせたことから始まりました。最後に、投獄で体力を消耗した彼も、精神的不安から発して病気になり、遂に亡くなってしまったのです。

もし、あなたが彼らだったら、運命を恨みませんか?

本当に人生何が起こるかわかりません。

ですから、私は「人生は命懸けの戦いだ」と思っているのです。

しかし、こんなことを考えていると、生きているのが辛くなってきませんか? 気分が重く暗くなってきませんか? 

彼らのことを知った時、正直言って、私もしばらくの間何もする気になれませんでした。彼らがとても人間的に素晴らしい人なだけに、とてもショックでした。

「あんなに性格がよく一生懸命真面目に頑張って生きていた人達なのに、人生ってなんて不公平なんだろう!」と。

「もしかしたら、明日は我が身かも知れない」とすら思ったのです。

そう考えると、彼らのことを思い出す度にぞっとしてくるのでした。

 そんなある時、人生の師、つまりメンターと呼べるG氏と出会い、生きていく上での希望と勇気を貰いました。

 G氏から頂いた激励が、私に一つの発想の転換をもたらしてくれたのです。

 それは、「自分にとって、真の幸福とは何か」ということでした。

G氏は言いました。

「人間として最も尊い生き方は、人のために生きていくことなのです。悩める友と対話し、激励・応援していくのです。そうすれば、自らも生きがいを感じ、楽しい人生を歩むようになれるので、幸せになっていくのです。そのために、いつも心に太陽を燃やし、悠々と生きていきましょう!」

 言われるように、G氏は自ら人を激励・応援し続けてこられました。そして、彼が通ってきた人生を知った時、私は感動しまた。

病苦、経済苦、幼くしての両親・兄弟との死別、権力者からの弾圧、投獄等々。人間として経験できる辛いことをほぼすべて、体験してきていたのです。

でも、G氏はいつも堂々とし、微笑んでいました。どんなに大変な時でも。まるで、心に太陽があるが如く。彼は言います。

どんな時でも心に太陽を!」

 そもそも凡人(自称)であったのに、若くして大組織のトップリーダーになったG氏の言葉には、説得力があります。