「祈りとして叶わざるなし。祈りは人間が本来持っている『夢実現能力』だ」



「『そんなことできるわけがない』という人間からは何一つ生まれたためしがない」

アメリカ合衆国第32代大統領 フランクリン・ルーズベルト の夫人、エレノア・ルーズベルトの言葉です。

彼女は、国際連合 のアメリカ代表、婦人運動家、文筆家としても大活躍しました。何事もまず自らが行動し、実践者としての人生を送り続けた彼女ならではの信念を伺わせる含蓄のある言葉です。


その彼女が生活の中で最も大事にしたのが、祈りだったそうです。

夫と彼女自身の健康と幸せと長寿を祈ることから、一日がスタートしました。そして、毎日健康で世のため人のために、頑張れることを周りの人にも、時ある毎に深く深く感謝していたのでした。


 日本の歴史を紐解いてみると、祈りの大切さがこれほどまでに忘れ去られている時代もなかったのではないでしょうか。

 祈ることは、人間のみできると言われています。つまり、祈りは人間の特権なのです。その特権を日本人のほとんどが生かせきれていないのです。

 祈ることの基本は、まず自分を信じ、自らの信念を持つことです。


 しかし、「心の師となるとも、心を師とせざれ」という金言もあります。

「心の師となる」とは、周囲の影響によって一瞬一瞬移り変わる自分の「心」を律し、コントロールすることです。

 一方、「心を師とする」とは、周囲の縁に振り回され、煩悩(欲望・執着・怒り・妬みなど)の赴くままに生きている姿を指します。

つまり、揺れ動く自分の「心」を師としても、振り回されるだけで、逆に自分の弱い「心」をしっかりコントロールしなければ、真の幸福は得られないことを指摘しています。

 もっとわかりやすく説明しますと、たとえ冬のような辛い時期があっても、人生の目的を見失わず一念を定め、自分の心の「師」となる、要するに自分の「心」をコントロールし、弱い自分に立ち向かい挑戦していくところから、人間的成長があり、幸せも得られることを述べているのです。

 そのために、祈りは必要なのです。


 祈ることで様々な恩恵を受けることができます。

 まず、真剣に祈れば、受けた恩に対する感謝、つまり報恩感謝の心が生まれます。今まで無事にやってこれたのは、自分の周りにいる人々が助け支えてくれたためです。普段はその方々への心からの感謝の意を表せる場がありません。

 ですから、面と向かって伝えられない分、彼らの健康と幸せと長寿を代わって祈ってあげるのです。それは、間接的でありますが、彼らに対して感謝の意を表しているのと同じになりますので、その尊い気持ちは、「以心伝心」で、必ず相手にも伝わります。祈っているとあなたの言動に出ますから。

 その結果、相手は更にあなたを助け支えてくれることでしょう。

 そして、もしあなたが自らの夢と目標の実現を、毎日真剣に祈ったならば、それは自ら肝に銘じている行為となり、どんなに困難なことが目の前に立ちはだかったとしても、徹底して挑戦し続けることでしょう。それが祈りの力です。


 私自身、高校3年生の時に立てた夢と目標が、今まで達成できたのは、その達成のための日々の深い深い祈りがあったためだと断言できます。

 その体験を通して言えることは、人間は祈れば祈るほど、その夢や目標に対する執念が出てきます。たとえ、その夢や目標が不可能そうに見えても、祈ることで、知恵と達成意欲が出てきて、俄然頑張れるようになるのです。

 ですから、祈ることは人間が本来持っている自然の凄い行為で、それによって本来自らが持っている秘めた能力を引き出せるものであることを実感します。従って、祈らないと不可能なことでも、祈ると可能になることは、多々あります。それは、私自身が何度も体験してきました。


 もし、あなたが、不可能そうなことで、絶対達成したいことがあれば、ぜひ祈ってみて下さい。

自分に思わぬ力が湧き出でて、達成のために絶え間ない努力ができる自分になっていることに気づき、とても驚くでしょう。

 私も、既に触れましたが、高校3年生の時に、不可能な夢と目標を立てて、それから毎日祈り続け、遂には達成させました。その祈りのパワーには、私自身も驚いている次第です。