私は小さい頃から勉強が大の苦手でした。理解力と記憶力が著しく劣っていたようで、試験を受けると、いつもビリでした。合否にかかわる試験という試験は、落ちまくってきました。

 ですから、試験が大大大嫌いでした。

 恐怖のあまり試験の直前は吐き気がしてきます。緊張し過ぎて試験中は頭が真っ白になり、熱も出ます。

 そして、試験結果がわかる直前の憂鬱なこと、憂鬱なこと。生きている心地がしないのです。

 採点済みの答案用紙が返却され、見た瞬間「あ! やっぱり、また悲惨な点数だ!」と、心の中で叫びながら、何もなかったように、さっと点数が記された答案用紙を、誰にも見られないようにさっと隠します。

 でも、そんな私の気持ちもお構いなしで、周りの人たちは、点数を見せ合いっこします。私にも遠慮なく聞いてきます。

「ねえねえ、浜ちゃん何点だった? 僕勉強しなかったから、今回は凄く悪いんだ。めちゃめちゃショックだよ。でも浜ちゃん、勉強してたから、できたでしょう?」

「あんまり……。点数なんていいじゃない。もう終わったことなんだから。次頑張れば……」

 本当は私の点数は、彼の半分もない、クラス最低でした。

 家に帰って、あらためて答案用紙を見つめます。そして、涙がボロボロ出てくるのです。

「なんで僕はいつもこうなんだろう! なんでこんなに自分はバカなんだろう!」

 惨めな試験結果のために、数日間は心がブルーになるのです。誰とも会いたくも、話したくもなくなります。

「あ! 死にたい! この世からいなくなりたーい」

当時、私には勇気がなくてできませんでしたが、自殺したくなる人の気持ちがわかるような気がしました。

その頃、日本の学校教育において、勉強やスポーツのできない生徒は、存在価値がほとんどないのです。両方できなかった私には、学校にいることはとてもつらいことでした。

 実は試験がある度に毎回そんな状態になるのでした。今でも思い出すだけで、ぞっとしてきます。学校に行くのが嫌で嫌でたまりませんでした。

 ある時、いつものように悪い成績を母親に、恐る恐る泣きそうな声で報告していました。通常母は、「また、できなかったの!」と溜め息をつきながら不機嫌そうに言うのです。

 その時もいつもと同様のリアクションを予想していました。

目に涙を浮かべ、声を詰まらせながら、小さな声で私は言いました。

「お母さん、ごめんなさい。またクラスで最低点とっちゃった。僕、もう学校行くの止めた方がいいかなあ? こんなに勉強できないんじゃ、学費もったいないよね?」

 その直後、耳を疑いたくなるようなことを母が言ったのです。

「よかったじゃないの! クラスで最低点ということは、これ以上悪くならないということじゃない。これからは、よくなるしかないということじゃない。お母さんは知っているよ、直太が頑張ろうとしていることを。あなたらしく頑張ればきっと成果は出せるわよ! あなたは、本当はできる子なんだから。お母さん信じてるから」

 その時の成績は学年で最低でしたので、かなり叱られることを覚悟していました。

叱られるどころか、母は、私が頑張ろうとしていることをほめ、励ましてくれました。おそらく、私が報告する前に、心配していた担任の先生が、母に伝えていてくれたのだと思います。

しかし、私は嬉しかった。涙が出るほど。母は本当に私の将来を案じてくれ、応援してくれようとしているのが、痛いほどわかりました。

私は決意しました。絶対にそんな母を悲しませないと。必ず期待に応えようと。

ほとんど同時期に、人生のメンターからも「後世畏るべし」との激励を受けました。それから私はまさに命懸けで勉強に取り組みました。

その決意の結果は、無遅刻・無欠席・無早退という行動で現れました。高校も卒業できるかどうかわからない私でした。が、振り返ってみれば、アメリカの大学院博士課程まで終えていました。

私の敗者復活を成し遂げるすべての原動力になったのは、「あなたは本当はできる子なんだから」というたった一言の母のほめ言葉だったのです。

どんな子供達と話していても、私はついついほめてしまいます。自分がそれで蘇生できたことを思うと、彼らには「頑張れ! こんな僕もできたんだから、君もやればできるよ」と、自然と心の中で叫んでいるのです。

「亡きお母さん、ありがとう! あなたのたった一言が私の人生を変えてくれました」