「浜口さんと出会え、いっしょに活動できて最高に幸せでした。後は、私の分も頼むわね……」

 ユリコ・トンプソンさんが癌で亡くなる直前に、私が病院で聞いた最期の言葉でした。

 短い人生でしたが、本当に感動の毎日でした。

 ユリコさんは、軍人であったご主人、トムさんと日本で出会い、結婚して共に渡米したのでした。当時彼女はほとんど英語ができなかったのです。が、たまたまアルバイトをしていた喫茶店で、トムさんに見初められて、デートに誘われました。

 その初めてのデートでいきなり、彼からプロポーズされたそうです。

それから彼は毎日のようにユリコさんに花束を届けたそうです。そなことが、1年以上続いて、彼女は遂にトムさんの情熱に負けて結婚したのです。

 当時在日米国軍人だった彼が、日本での任務を終え、米国に戻らなくなったため、いっしょに米国に移り住みました。

 トムはとても優しい性格でした。渡米してからも、英語の苦手なユリコさんのために、一所懸命英語や米国での生活の仕方を教え、手取り足取りサポートしたのです。そんな夫が大好きで、ユリコさんも毎日愛妻弁当を作ったりで、誠心誠意トムさんに尽くしたのでした。

 二人とも子供は大好きでしたが、最後まで授かれませんでした。

そのため、二人は孤児院にいる子供のめに、料理を作り差し入れしたり、いっしょに遊んだりしていたのです。

 そんなある日、子供たちのために美味しいケーキを作ったので、いつものようにユリコさんに頼まれて、近所の孤児院に差し入れした帰りのこと。交差点で信号待ちをしていたところ、後ろから猛スピードで来た車に激突されて、トムさんは即死。

 その日は、なんと二人の10年目の結婚記念日だったのです。愛情込めて作ったケーキでトムさんとお祝いするためにずっとずっと彼の帰りを待ち続けていたユリコさん。あんまり遅いので心配を始めた矢先、一本の電話が。

「警察のものです。トム・トンプソンさんのお宅ですか?」

ご家族の方ですか?」

「はい」

「ご家族の方はおられますか?」

「はい、彼は私の夫です」

「申し訳ないのですが、悲しいニュースをお知らせしなければならないため、電話しています」

「え! 悲しいニュース! トムに何かあったのですか?」

「残念ながら先ほど交通事故でお亡くなりになりました……」

 彼女は目の前が真っ暗に! 異国の地米国は、彼女にとってけっして、住みたい場所でも住みやすい場所でもありませんでした。しかし、トムという存在があったからこそ、移住を決めたのです。それを聞いて、気が狂わんばかりです。

 ユリコさんは、来る日も来る日も悲しみに打ちひしがれ、廃人同様に。

〈私は何のためにこの世に生まれてきたのだろう? なんでトムはこんなに早く、しかも突然死ななければならなかったのだろう? あんなにいい人だったのに…… 世のため人のために生きていたのに…… 私はなんでこんに苦しまなければならないのだろう? この世には神様も仏様もいないのかなあ?〉

 あるとき友人のアメリカ人からそんなユリコさんの存在を聞きました。

友人からは、「ネイト(私の米国でのニックネーム)、同じ日本人なんだから会って元気付けてあげたら」と。

 私はユリコさんの話を聞いて、一日も早く彼女に立ち直ってもらいたい。またそれまで通り恵まれない子供達のための支援を続けてもらいたいとの切実な思いを持ちました。ですから、喜んでユリコさんとお会いすることにしました。

「始めまして、浜口直太です」

「ユリコ・トンプソンです。浜口さんは若そうですけどアメリカに何年いるの?」

「歳は27で、アメリカには5年います」

「いいわねー これから素晴らしいことが待ち受けているわね。きっと! 私の人生は終わっちゃったけどね……」

「そんなことないですよ! ユリコさんにもまだまだ素晴らしいことがありますよ。お互い日本人としてアメリカで頑張りましょう」

「若いっていいわね。凄いエネルギーね。私はもうダメよ。生きる糧をなくしたから」

「ご主人のことは友人から聞きました。でも、いつまでも辛いことを引きつっていたら、苦しみは消えないと思います。ご主人の意志を受け継いで、恵まれない子供達のためにいっしょに支援活動をしませんか?」

「確かに浜口さんが言われる通りですけど、今の私には気持ち的に無理です。もう、前向きに考えられないの」

「わかりました。じゃあ、理屈は抜きにして、今私が支援しているボランティア団体を手伝って頂けませんか? 恵まれない子供や家庭内暴力で苦しむ人達のために、相談に乗り、応援しているのです」

「それぐらいなら、以前にもやっていたから、いいわよ」

「ありがとうございます。それでは『用は急げ』です。今週末からお手伝いしてもらってもいいですか?」

「わかりました。少しでも、子供たちや困っている人の役に立つのであれば、いつでもいいですよ。彼らの喜ぶ顔を見たら癒されるし……」

 それから、ユリコさんは毎週末必ず手伝いに来てくれました。驚いたことに、彼女はどんどん元気になっていきました。ある時彼女は言いました。

「なにか人のために手伝っていると、すごく充実感を得られるね! 凄く嬉しくなっていくわ。生きている証を得ているようだわ」

 ユリコさんは本当のお母さんのように、一人ひとりの子供たちに優しく接していました。

 あれから5年が経ちました。遂に彼女は「恵まれない子供を支援する会」を自らのライフワークとして立ち上げてしまいました。

その会には全米から120人以上のボランティアが集まりました。そのボランティアのほとんどが、過去ユリコさんが支援してきた人でした。昔彼女が支援していた時は子供でしたが、既に大人になり、中には弁護士、公認会計士、医者、経営者になった人も。

 みんな命懸けでユリコさんを応援する気です。それで、その会はあっという間に、軌道に乗ったのでした。

 会を立ち上げて3年経ったある時、突然ユリコさんは倒れてしまいました。救急車で病院に運ばれ診断された結果、末期癌であることが判明。彼女はそれまで何度も倒れていたのです。が、大騒ぎされたくないので内緒にしていたのです。

 末期癌が発覚し、もう命が半年ないことが知らされた時、彼女は笑顔を浮かべて言いました。まるで自身が不治の病であるのを知っていたかのように、です。

「じゃあ、私、大好きなトムのもとに行けるのね! あの世でトムとゆっくり暮らせるわ。浜口さん、会のことよろしくね」

 深々と頭を下げる彼女を見ていて、私は止め処もなく涙が出てくるのでした。

「熱く生きるって、きっと人間を強くするんだなあ……。僕も燃え尽きるようにこの人生を終えたい」