命を粗末にしてはいけない

だって、命があれば何でもできるから

命懸けでやれば、大きなこともできるから

だから、諦める前に、命懸けでやろうよ!

それもできるまで

できるまでやり続けるから、できるんだ

成功した人は皆そうしてきたんだから


米国にいた時、私には大好きな先輩がいました。

彼の名前は、デイビッド・アオヤマ、日本名は青山世磨(あおやま・せいま)です。

青山さんと出合ったのは、米国での大学の同窓会です。

最初にお会いした時は、私は米国のことをまったく知りませんでした。ですから、先輩として手取り足取り教えてくれたのでした。

凄く真面目なのに、すぐにジョークを飛ばして、場を和ませる彼の優しい性格にとても魅力を感じたのでした。


青山さんは、日本の大学を出て、すぐに渡米しました。

渡米の目的は、世界平和のために色々な分野で世界の中心となった米国でお手伝いすることでした。

その目的達成のため、最初は英語を勉強していたそうですが、問題が起こったのでした。

米国に永住するつもりだったのですが、長期滞在するためのビザ(査証)がないのです。そのままいれば、違法滞在になるため帰国しなければならなくなったのです。

元々米国に骨を埋める覚悟で渡米した青山さんは、凄く悩みました。時間の問題で移民局に見つかり、強制送還させられるからです。そうなれば、二度と米国に足を踏み入れられなくなってしまいます。

悩み考え抜いた青山さんは、日本食レストランのシェフになることを決意しました。実はとても苦手な分野だったそうです。

それでも、その慣れない仕事で必死になって永住権の取得を挑戦しました。

何度も何度も挫折しながら、その仕事をやり抜きました。そして、やっとの思いで永住権を取得したのでした。

永住権取得後、彼はすぐに米国で世界平和推進組織の職員となり、米国中を駆け回り、困っている人を激励・応援しまくりました。

人が嫌がることでもジョークを言いながら、楽しそうに率先してやっている彼の姿は、今でも忘れることができません。

私も彼が関わっている組織のお手伝いをしたこともありましたので、一時期青山さんとは、毎月のように行動を共にさせて頂きました。

それは、私にとって、黄金の思い出です。

 彼がその時しみじみと言われた言葉を、辛くなったり、苦しくなったりしたら、自然と思い出します。

「浜口君、人間は命があれば何でもできるんだよね。だから、僕は何でも挑戦することにしてるんだよ。世界中の困っている人達のために、残りの人生を使いたいんだ」

 それが実は彼が私に言った最後の言葉でした。


 青山さんは、2001年9月11日に起きた、あまりにも強烈で悲劇な出来事で亡くなりました。

世界貿易センタービルに突入したボストン発ロサンゼルス行きアメリカン航空11便の乗客の一人として。享年48歳でした。早過ぎた死です。


 彼の生き様を、お嬢さんであるエミリー・アオヤマさんが青空を見上げて 9・11のテロで逝った父へ」(潮出版社)に記しています。

 その本は次のように紹介されています。

世界貿易センタービルに激突したアメリカン航空11便に乗っていた日本人・青山世麿氏の娘エミリーさんが、父の悲劇を乗り越え、父の遺志を継ぎ、平和への小さな一歩を踏み出した。憎悪の連鎖を断ち切り、テロをなくすべく、亡き父へ、そして全世界に送る、その平和のメッセージは読む人すべての心を打つ」


 青山さんは私にとっても兄貴分的な存在でした。ですから、この本を読み始めたら、最後まで涙が止まりませんでした。

 彼女は言います。

「最初のころは、父がスーパーマンのように世界貿易センターの鉄骨かなにかにつかまってくれていたらいいなとか、そういう想像をしていたが、やがて世界貿易センターが崩れ落ちていく映像を見て、ああやっぱりダメなんだと思いました。空中で最期を迎えたのだから、きっとお父さんの生命は一瞬に宇宙へと戻っていったんだろうね。ひょっとしたら、いまごろどこかの空の雲の上でふわふわと昼寝をしているかもしれないよね。それとも、世界中、または宇宙のさまざまなところに遊びに行っているのかなぁー」。

最愛の父の死という現実を捉えたくなく、悲しみ苦悩する19歳の乙女の心情が痛々しく表現されています。


後に彼女は綴ります。

「9・11は私に人生で一番大切なことを教えてくれた。死んだらお金も、地位も、名誉も何も持っていけない。でもお父さんが築いた同志との友情と師弟の道は残っている。……怖がりで一人では何もできないと思っていた私に、世界平和への使命感を引き出してくれたお父さん」


 青山さんは、最愛の妻と子供達を残して、さぞかし悔しかったでしょう。

 彼のことを思うと、五体満足で生きていられること自体に大感謝せざるを得ません。

 何をするにも、彼にはもうゼロになってしまった可能性は、自分にはゼロでないのです。やればできるかも知れないのです。

 いや、やり続ければきっとできるでしょう。成功者は皆そうして成果を出してきたのですから。

 だから、私は挑戦したいのです。何事にも。青山さんの魂を受け継いで。また、青山さんのためにも。