人間は弱い
でも、世のため人のために生きようと決意したら、強くなれる
世の中に役立つ存在となろう決めたら、自然と力が湧くのだ
使命を自覚すれば、人間は執念の魂と化する
どんなダメ人間でもだ
凄いなあ、人間は…
だから、弱い弱い自己と戦おうよ!
一人でも多く人の笑顔を見たいから
生きた証を残しておきたいから
直太
私には、大きな大きな夢があります。言うのも恥ずかしいくらいです。
その夢を実現するため、毎日弱い弱い自己に挑戦しています。
でも、負けてばかりです。
いつも葛藤しています。
「なんて弱い自分なんだろう…」
「こんなに惰弱な人間が世の中にいるなんて!」と。
情けなくなります。
でもそれが現実です。
あまりにも現実と夢のギャップが大き過ぎて、ふと思います。
「僕はいったい何にしているだろう?」
「何のために生きているのだろう? 負けてばかりいて……」
しかし、私のメンターは、19歳で世のため人のために生きると決めてから、まさに命懸けで弱き自己と戦い続けてきました。
彼もまた負け続けていたそうです。
病苦、経済苦、仕事の問題
しかし、最後に大勝利の人生を送りました。
その方に何度助けられたことか。何度勇気付けられたことか。
何でここまで、他人を応援するのだろうと、泣けて泣けてなりませんでした。出会った一人ひとりを大切にされるあの姿は感動の毎日でした。
メンターに聞きました。
「なんでそんなに体を酷使してまで、多くの人を激励し、応援されるのですか?」
彼は答えました。
「僕は人間が好きなんだなあ……」
彼と出会ってから、人生が変わりました。
どんなに落ち込んでも、どんなに辛くても、どんなに苦しい状況に追い込まれても、彼の生き様とその戦い振りを思い起こすだけで、温かい気持ちになります。元気になり、勇気が出てくるのです。
「やっぱり腹が決まった人間って凄いなあ!」って。
そして、願いを込めて思うのです。
「こんなダメな人間だけど、彼のように世のため人のために生き抜きたいなあ」って。
それだけで、この世に生まれた証になると思うのです。
そのメンターをお手本に母も頑張りました。亡くなって、もう10年以上が経ちます。
母は生前の15年間、家計を助けるため、保険の外交員をしていました。
ある時、タンスを整理していたら、彼女が勤めていた生命保険会社の古いニュースレターが出てきました。ふと見ると、母の次のメッセージが載っていました。
「『巳年生まれの私』
平成元年、新しい時代が巻く開けとなり年女の私も、入社して早15年が過ぎました。
その間何度か悩みに陥り、交通事故、病気等でくじけそうになりましたが、その都度顧客の顔が眼に浮かび、この会社の社員であるという誇りもあり、増員した友人のためにも、こつこつと頑張って参りました。
愚痴を言わずに、明るく働いている姿が、子供達に無言の教育だと思って、常に自己に厳しく、時間を大切に、月々日々を充実させ、子供達には自立心を持たせて来ました。その甲斐あってか、長女はヨーロッパで、長男はアメリカで国際人として活躍しております。
当初保険会社への入社を反対した主人も、今では色々と協力してくれています。
動物で一番嫌いな蛇、執念深い等で、良い面では財を築くと云われます。
しかし、私はそのどちらでもありません。
平凡な営業員として保険会社に、少しでも貢献でき、子供が知らず知らずのうちに、立派に成長してくれた事が何よりも嬉しく思っております。
保険の外交員といえば、中々長続きし難いですが、我が営業所は、真面目で優秀な人材が育成され、明るく活動される姿は、色々学ばされます。
これからも、顧客を大切にしていつまでも友好を重ねて、色々な趣味を生かして、頑張ります。
また、日々の健康に感謝し、人生相談、結婚相談にも活躍し、人々の幸せのため、益々有意義な己年として参りたいと思います。」
母はとても弱い人でした。でも、このメッセージにあるように、人の相談に乗っている時は、同じ人間とは思えないくらい、逞しく見えました。とにかく、相手を幸せにしたいとの一心からの力強い言動でした。
人は弱い存在です。しかし、一度、世のため人のために生きようと決めた時、凄く強くなれるのです。
母も同じです。一人の女性としてはとても弱い存在です。ところが、子供を守り育てるとなると、怖いほど力を発揮します。母性本能からでしょうか。
私の母も耳がよく聞こえないハンディーキャップを持ちながら、必死に毎日戦っていました。特に子供への教育は命懸けでした。自らの人生を賭けていました。
今から考えると、彼女の生きた証は、子供が世のため人のために育つことだったのです。どんなに仕事や人生で負けかかっても、何度も何度も這い上がって、その望みを子供達に託していたのでした。
私は、弱き自己と戦っている人の姿を見ることほど、感動させられることはありません。
見ているだけで涙が出てきます。自分がどんなに大変な状況にいようと、なんとか手を挿し伸ばしたくなります。そのために、自分に力をつけたくなります。
たかだか頑張って生きて100年ですから、そのアッと言う間の人生です。
私にとっては、その間に、どれだけ世の中に役立つことができるのか、また、どれだけ多くの人のためになることができるかが、勝負だと思っています。
ですから、こんな弱い自分でも挑戦しなければなりません。こんな状態では、とても人の役に立てませんから。