「長いようで短い人生。しかし、それは、壮絶な戦いだ。来る日も来る日も負け続けることもあるだろう。それこそ苦難の連続かも知れない。でも、焦る必要はない。最後に勝てばいいからだ。死ぬ直前に、『自分は今世で最後に勝った!』と確信できればいいのだ」


 私は人間にとって、生きることほど大変なことはないし、生きることほど楽しいことはないと思っています。一見、楽しそうな人生ですが、実は根本的には大変な戦いの連続でもあるのではないでしょうか。

 人生で失敗している人は、人生そのもの、つまり生きること自体が戦いであることを、認識していないのです。

 我々は、この世に生を受けてから、ずっと死に向かって生きています。いつか必ず死ぬことをついつい忘れて生きています。

 でも、高齢になったり、重病になったりしたら、また周りの人の死に遭遇したりすることで、急に死を意識し始めます。その時、死への恐怖を感じる人もいるでしょう。

 

死とは本当に怖いものなのでしょうか?

 私は母の死を通じて痛感しました。本当に充実した勝利の人生を歩めば、死はまったく怖くないものだと。かえって残された人々に希望と勇気を与えるのです。

彼女は人生を戦い抜きました。そして、最後に勝利してこの世を去りました。病苦、経済苦、家庭不破…… 彼女が乗り越えてきた苦難は計り知れないものがあります。

母は、幼少時に重病を患い、それがきっかけで片方の耳が聞こえなくなりました。病弱で運動ができなくなった彼女は、小・中学生時代は、とろいということで、周りの人からバカにされ見下されていたようです。

 その頃の悔しさを、幼少時の話になると、母は私によく語っていました。

健康上のハンディーキャップもあり、入りたい高校にも行けなかった母は、大学進学を断念し、高校卒業と同時に、ファッションデザイナーの道を志しました。その夢を叶えるために、地元高知から大阪に飛び出したのです。

しかし、母の将来を案じた両親は、少しでも早く落ち着かせようと、彼女に自衛隊一期生だった父とお見合いをさせ、結婚させました。

母は悩み葛藤しました。ファッションデザイナーになる夢を諦めなければならない環境にどんどん追いやられていく自らの現実を直視して。

そうこうしているうちに、姉が、そして私もこの世に生を受けたのです。

当時自衛隊に勤めていた父は、アルコール中毒で体を壊し、働けなくなりました。いくつもの病気を抱え、入退院を繰り返していたのです。

そのフラストレーションから、父はいよいよお酒に溺れ、酒乱に。飲むと凶暴になり、母に対して毎日殴る蹴るを繰り返していました。

その光景を見ては震えて泣きじゃくる姉と私を、母はそっと抱きしめて言いました。

「泣かなくてもいいんだよ。お父さんも大変なんだから。お母さんが我慢すればいいんだから」

父との結婚を機に、ファッションデザイナーの道を諦めた母は、無収入となった我が家の家計を助けるため、近所に捨ててある新聞紙を拾ってきては、それを袋にして、市場に売りに行くことを日課にしていました。

父だけでなく、姉も私も体は極端に弱かったことから、絶えず病気にかかっていました。

ある時、母は当時の我が家を振り返って、生き地獄状態だったと語っていました。後でわかったことなのですが、実際、母は何度も自殺未遂を繰り返していたのでした。

 でも、見るに見かねた近所の親切なおばさんに説得され、遂に留まったそうです。

「あなたが死んだら、残されたお子さん達はどうするの? 路頭に迷うわよ! 一生人を恨み、愛情のわからない人間になるかも知れないわよ! それでいいの? 死ぬ気になって頑張れば、どんな苦難も乗り越えていけるわよ。」

その時、母は一大決心をしたそうです。自分の夢を子供達に託し、命懸けで育てようと。

それからというもの、彼女の夢は、姉と私が世のため人のために国際的に活躍できる心の優しい人に育つことに変わりました。

そして、彼女は姉と私の教育に必死になりました。まさにすべてのエネルギーを注ぎ込んだ人生の総力戦となっていきました。

将来海外での社交の場で恥ずかしくないようにと、小学校低学年の頃から、姉と私に、食事の国際的なマナーを教えるため、食事ではいつもナイフとフォークなど銀食器を使わせられるようになりました。

時ある毎に、母は、マハトマ・ガンジー、ケネディー大統領、マーチン・ルサー・キング博士、野口英世博士、キューリー夫人、マザー・テレサ等々の偉人の生き様を通して、世のため人のために生きる人生の尊さを語っていました。

とにかく姉と私を育てるために、様々な仕事をしました。最後は最も収入になる保険のセールスをして、稼ぎまくりました。母、主婦、妻、ワーキングウーマンとして、睡眠時間を削って毎日戦っていました。

 私はその戦いをじっと見ていました。いつもすぐそばで。そして、戦い抜いた彼女の人生を通して悟りました。「人生は戦い」であることを自覚し、本当に戦った人のみが、人生を謳歌できることを。

 姉が外務省に10年間勤務後、イギリス人実業家と結婚し、私も目標としていた米国で「国際経営コンサルタント」として独立したのを見届けて、65歳の戦いの人生を終えました。

最後は、世界中を旅行し、食べたいものを食べ、会いたい人と会い、まさにしたいことをすべてするという悠々自適の生活を繰り返し、勝利の人生としての幕を閉めました。

亡くなる直前に、重度の脳梗塞で話せなくなった彼女は、私に静かにかつ燃えるように示唆しました。

「息子よ。人生は戦いだ。私も戦ってきたから、その戦いを私から受け継いでおくれ。世のため人のために生きて生きて生き抜くのだよ。お母さんはその戦いをいつも見守っているからね」

 私はそれから、母からの遺言を実践すべく、弱い弱い自分と毎日戦っています。あまりの弱さに、本当に戸惑う日々です。

しかし、絶対に負けません。母が示してくれたように最後に勝てばいいのですから。


 皆さんも今は辛いかも知れません。大変かも知れません。死を考えている人もいるでしょう。

 しかし、それが人生です。生きるということは、戦いなのです。

 希望となるのは、戦い抜けば、たとえ途中負け続けたとしても、最後は必ず勝利が待っているということです。

「冬は必ず春となる」なのです。

 だから、「人生は戦い」であることを受け止め、いっしょに戦いませんか。弱き自分と。そうすることで、人間的にも大きく成長し、気がついたら悠々と生きていますから。

私もそんな魅力的な人間になりたいです。