新人の頃や、下ずみ時代には、バカにされたり、軽く見られたりで、人

からなかなか相手にされないことが多いと思います。

どんなに将来大きな夢や野望、また高い志や目標を持っていても、実力や地位やお金がないと、評価されないが現実です。

ですから、早くそうなれるよう、日々努力し、実力をつけることに徹していかなければならないでしょう。

伸びる人、また成功する人には、まだ何もなかった時代に共通点がいくつかあります。その一つとして、「反骨精神が旺盛」が挙げられます。

この場合の反骨精神とは、バカにされたり、軽く見られたりした時、どう受け取るか、そしてその後どうするかがポイントになります。

ただ、「そうだよな、僕はまだまだ青二才だから、しょうがないや……」という具合に、妥協して終らせてはいけません。

「何くそ! 今に見ていろ。絶対に大きな成果を出して認めさせてやる!」くらいの気持ちが出てこなければ、せっかく大きく伸びるチャンスも逃してしまいます。別に喧嘩することを勧めているのではありません。その屈辱を、実力をつけるためのバネに使うべきだと言っているのです。

 バカにされたり、軽く見られたりすることは、実は一生つきまといます。どんな立場になっても、またどんなに実力をつけても、必ず誰かから批判はされます。

 その時、喧嘩を売ることもなく、キレることもなく、「いつか必ず、この人からも評価・感謝されるくらい実力をつけ成果を出すぞ!」と、前向きにとらえ、その悔しさをダメな自己を変革するエネルギーに変えていけばいいのです。

 それを実行し続けたのが、百姓として生まれた木下藤吉郎こと、豊臣秀吉です。ご存知の通り、秀吉は、織田信長に仕え、立身出世を絵に描いたようにやってのけた人です。

 どうして、彼は一百姓から、天下を取れたのでしょう?

 答えは簡単なのです。百姓の時から、何かとバカにされ笑われていましたが、それを、糧にして頑張り続けたのです。

 ほとんどの人は、バカにされたり、軽く見られたりしたら、怒って相手を非難して終ります。ただ、「相手が悪い!」と被害者意識を持つだけで終ってしまいます。

 伸びる人、成功する人は、いい意味でのプライドを持っています。

従って、そのプライドを傷つけられた代償として、相手に将来自分を認めさせるために、必死の努力をします。

場合によっては、「あの時は、すまなかった。君がそんなに力をつけるなんて、見抜けなかった。私は、人を見る目がないと反省しているよ。申し訳なかった」なんて言わせられれば、あなたの執念の勝ちです。

 ですから、いい意味のプライドのない人は、伸びないのです。

 私の知人でとても謙虚な経営者がいます。彼は、若くて人がいいことから、会社を始めた時、年上の社員、取引先、顧客、株主から、よくバカにされたり、軽く見られたりしていました。

「君は元々社長の器ではないね。人徳がなさ過ぎるなあ。これじゃあ、社員もついてこないよ」

 株主総会に来たある株主が、業績のが悪いことへの不満もあって、遠慮なく彼に言いました。

 彼はその時、一切文句も言い訳も言わず、ただただ「本当に申し訳ありません。私が、力がないばかりに、ご迷惑やご心配ばかりおかけして……」を連発しながら、ひたすら謙虚に謝っていました。

 その時、彼の瞳を見て、私は、ハッとしました。炎の如く燃えていたのです。とても単に謝っている人の目ではありません。闘志満々でした。

 それから、1年半後。彼は会社の業績を大幅に向上させた上、上場までさせていました。そして、その直後、効果的な買収まで行い、会社を大きく成長させたのです。彼は上場記念パーティーで私に何気なく漏らしたのでした。

「あの時、あの株主にあれだけケチョンケチョンに言われたからこそ、その後命懸けになって頑張り、成果を出せました。彼には本当に感謝しています」