私には人脈の大切さを身をもって教えてくれた人々がいます。その方々の一部を明かすことで、皆さん納得頂けると思いますので、次に箇条書きで紹介します。

ジェリー・ジェンキンズ テキサス・インスツルメンツ(TI)元会長兼社長兼CEO。ベンチャー企業だった同社を半導体製造業界において世界的リーダーに育て上げてことで知られる。その手腕と功績が評価され、米国半導体協会会長となる。地元の慈善事業団体のボランティア活動をいっしょにやったことから、その後対談や講演をいっしょにした

A・J・H・エント-―ベン テキサス大学ビジネス・スクール元学部長・教授・国際会計開発センター所長。世界銀行元相談役。発展途上国の会計システムを確立し、世界的な評価を受ける。私の修士・博士課程時代の指導教授。まだ修士課程に入ったばかりの私を、いきなり大学院の助手・講師に採用してくれた。また、多くの大物学者や事業家に紹介してくれたり、共同研究などで私を押し上げようとしてくれた大恩人

ジョン・オネイル 世界最大級の国際会計・経営コンサルティング会社「プライス・ウォーターハウス」(現プライスウォーターハウスクーパース)元最高経営責任者(CEO)。私が同社在籍時代にトップをしていたアメリカ人で、積極的に買収・合併を推し進めた究極の経営戦略家。一流の国際経営コンサルタントになるよう会う度に励ましてくれた

ジョージ・コズメスキー テキサス大学元経営学部長・教授。ハーバード大学ビジネス・スクール元教授。デル・コンピュータ創業投資家・支援者。教育者・研究者でありながら、米国を代表するエンジェル(ベンチャー・ビジネスへの個人投資家)・大富豪。高齢だったにもかかわらず、毎朝五時に出社して仕事を始める強靭な体力の持ち主。「起業家精神」を私に徹底的に教えてくれた

ジョン・アダムス テキサス州最大の銀行だった「テキサス・コマース・バンク」元頭取。頭取在任中、数々の企業買収と合併を繰り返し、同銀行を急成長させたことで知られる。最後は、米国最大級の銀行に同行を合併させた。同行は、弊社米国法人のメインバンクだったため、財務戦略上、特に企業買収に関する色々なアドバイスを頂いた。お互い地元商工会議所の理事として、いっしょに慈善活動をした仲

マイケル・アマコスト 元在日米国大使。スタンフォード大学元教授。米国大手シンクタンク「ブルッキングス研究所」所長。対日戦略では米国でトップクラス。エリートで理論派ではあるが、親しみ深い庶民感覚を持っている。お願いしたらなんとかしようとしてくれる人格者。講演などで協力頂き、私の良き相談役でもある

ロバート・ラットフォード キサス大学(ダラス校)元学長・教授。研究所だった同校に大学院と大学を短期間で設立し、初年度より同大学のレベルをテキサス州でトップクラスにし、周囲を驚かせた。私の教育事業にテキサス大学が保有する莫大な土地を州政府を説得して寄付させようとしてくれたダイナミックかつ太っ腹な性格の持ち主

ロバート・クランデル 世界最大級の航空会社「アメリカン航空」最長のCEO。トップになってより、国際戦略上、日本市場を重視し、日本航空との提携を推し進めた。CEOとして多忙を極める中、お願いしたことはすぐに実行してくれる行動力の人。日本企業との交渉などでアドバイス・支援させて頂いたことから付き合いが始まった

リチャード・ケイビス ハーバード大学経済学部元学部長・教授。国際経済・貿易論で世界的に指導的な役割を果たしてきた。私が同大学院博士課程に入学できるよう推薦してくれた恩人。結局奨学金がなかったため私は入学を断念。無理してでもお世話になるべきだったと反省している

ハーブ・ケレハー 航空ベンチャー「サウスウエスト航空」創業者・元CEO。CEO在職中、不況の航空業界において唯一増収増益を維持し続けたため「天才経営者」として世界的に知られた。地元慈善事業団体のお手伝いや対談を何度かいっしょにやらせて頂いた。極めて明るく気さくで庶民派

サミュエル・サピエンサ 財務学では全米一と言われるペンシルべニア大学ビジネス・スクール(ウォートン・スクール)元学部長・教授。財務学の世界的権威。同ビジネス・スクール時代の私のアドバイザー。受験のため初めてキャンパスを訪れた際、選考試験が既に終わっていたにもかかわらず、論文審査だけで無試験で私をウォートン・スクールの博士課程に入れてくれた大恩人

ロジャー・スタバック プロフットボール・チーム「ダラス・カーボーイズ」を何度も全米チャンピオンにした伝説のクオーターバック。米国を代表する不動産コンサルタント。私の元顧問先。不動産関係のプロジェクトもいっしょに行った

メリー・スーサー 米国訪問看護協会元代表理事。米国大統領看護問題元アドバイザー・諮問委員会委員長。訪問看護業界における米国での第一人者。彼女の要請で私も同協会の理事に就任した。そのお陰で米国での訪問看護システムがよく理解できるようになった

エドワード・デミング 統計学者で品質管理の世界的権威。私が米国で教育事業を始めた際に、色々な大物政治家や財界人を紹介下さった上、定期的にアドバイスや激励を頂いた。同氏からの寄付で、デミング賞が、日本に設立され、総合品質管理の進歩に功績のあった民間の団体および個人に毎年授与されている。

ピーター・ドラッカー クレアモント大学大学院教授。ニューヨーク大学元教授。元々新聞記者としてスタートし、社会学者でありながら、経営学の世界的な大家。ゼネラル・モーターズの組織分析や経営戦略立案を行ったことで、一躍世界的に評価されるようになった。私が、米国で教育事業を始める際に、アドバイスを頂いた

ロイ・ハーバーガー アメリカン・グラジュエイト・スクール・オブ・インターナショナル・マネジメント(サンダーバード)学長。サザン・メソジスト大学元経営学部長・教授。寄付金集めでは数々の実績がある。私の教育事業で支援して頂いた

エドワード・バス 国有数の投資グループのオーナー・大富豪。四人兄弟で投資活動をしていることから、「バス・ブラザーズ」としても知られる。ウォルト・ディズニー社が業績不振のため株価が暴落した際、短期間で大量の株を買占め、株主権利を遂行しCEOを送り込んだ。その結果、同社を復活させたことで、「再生請負人」としても有名になった。私の元顧問先、リチャード・レインウォーター氏が彼の投資顧問だったため、投資プロジェクトで何度か相談を受け、支援もさせて頂いた

リチャード・フィッシャー ダラス米国連邦銀行総裁。世界的な国際投資顧問「フィッシャー・キャピタル・マネジメント」創業者・元代表。米国有数の国際政治・財務戦略家。米国政府の国際分野におけるアドバイザーを歴任。昔、留学していたこともあり日本通でもある。出会ってよりお互いに情報交換・アドバイスを続けている

ノーマン・ブリンカー 米国大手レストラン・グループ「ブリンカー・インターナショナル」創業者・元CEO。「米国外食産業の神様」との異名を持つ。一九九三年ポロ(馬上球技)中に落馬し頭を打ち、医師より回復不可能と言われていたが、不死鳥のように蘇った。それから、彼とは慈善活動を通じてのお付き合いだが、何度か私が主催する講演会にも講師でお話し頂いた

 

ジェームス・ベーカー 元米国財務長官・国務長官。米国大手投資会社「カーライル・グループ」上級顧問。テキサス州の大手弁護士事務所のオーナー弁護士。私の教育事業のために支援をして頂き、講演もしてもらった

ロス・ペロー  世界最大級情報処理会社「エレクトリック・データ・システムス(EDS)」並びに「ペロー・システムス」創業者・元CEO。アメリカ合衆国元大統領候補。特に、元々友人だった長男のロス・ペロー・ジュニア(ペロー・システムス現CEO)が投資事業を始め、世界最大の工業用空港をテキサス州に建設した際、海外の企業誘致支援の依頼を受けたことから知るようになった

テリー・ホーナー 世界最大級の国際会計・経営コンサルティング会社「KPMG」元CEO。同社が欧系の大手国際会計・経営コンサルティング会社との大合併をした際に、社内の大反対のもと、強力なリーダーシップを発揮し、きめの細かいコーディネーションにより、業界でいち早く世界最大規模の会社にしたため、一躍スター経営者になった。入社式に、「何かあったら相談に乗るので来なさい」言われ、それ以降色々な相談に乗って頂いた経緯がある

ガーハート・ミューラー ワシントン大学ビジネス・スクール元学部長・教授。米国会計学会元会長、国際会計学会元会長。国際会計の世界的権威。私が米国ビジネス・スクール受験の際、強力な推薦状を書いて頂いた。それを気に頻繁にキャリア上の相談をさせて頂いている

アン・リチャード テキサス州元知事。米国を代表する教育者。州知事選挙でアジア人の票を集めたことから感謝され、交流が始まった。私が主催する講演会では、政治家というより教育者としての立場で「教育改革」のテーマでよくお話し頂いた

リチャード・レインウォーター 世界最大の病院チェーンや不動産投資信託証券(REIT)を創った米国を代表する戦略的投資家・大富豪。大型企業買収の仕掛け人・出資者でもある。日本でも有名になったハゲタカ・ファンド「リップルウッド」の強力な支援者・投資家。私の元顧問先であり、ブッシュ大統領のビジネス・パートナー。顧問として、日本企業関連投資では、よくアドバイスさせて頂いた

ベン・ローゼン 米国有数のベンチャー・キャピタリスト。コンパック・コンピュータ(現HP)創業支援者・投資家・元会長。数々の大型ベンチャー投資を成功させる一方、電気自動車等の研究・開発に何千億円もの資金をつぎ込む。ベンチャー投資でよく相談に乗って頂いた経緯がある

20年近く米国にいて、培った私の人脈の一部です。

初めて出会った時に、既に高齢の方が多かったため、この中ではもう亡くなられた方もいますし、今でもお元気に活躍されているかどうかがわからない人もいます。

当時青二才だった私に、ある時は壮絶なる議論・叱咤で、またある時は心温まるアドバイス・激励を頂いた方々です。まさに「誰でもチャレンジする人にはチャンスを与える」という米国文化を象徴するようなリーダーです。

お立場上、簡単にお会いすることはもうできなくなった方も多いのですが、お会いした回数は関係なく、私にとっては強烈な影響を受け、考えさせられた方々ばかりでした。

この方々のお陰で、日本では「劣等生」「負け組」だった私は、プロの「国際経営コンサルタント」に必要な「プロ意識」「気配り」「戦略的思考」「出世術」「帝王学」、そして一番大事な「人間性」を直接・間接的に学ぶことができました。

亡くなられて、もう、二度とお会いできなくなってしまった方も多いので、その出会いに本当に感謝しています。

日本に帰ってきた今、彼らから学んだことを一人でも多くの日本人に伝えたくて、本を書き始めました。これからも、機会ある毎に彼ら生き様を紹介していきたいと思います。

 彼らと知り合ったお陰で、普通できないような仕事を、また普通お会いできないような方々とお会いさせて頂きました。それが、まだまだ未熟ですが、人間性を高める上で、どれだけ役立ったことか、言葉では言い尽くせません。

やはり、優れた人々との出会いは、それぞれ凄まじいばかりの努力や苦労をされてきたため、その凄さを知るだけでも大変な勉強になります。そして、その人間的レベルの高さを知った時、自分自身の小ささを再認識・反省し、少しでも成長しなければならない必要性を痛感させられる次第です。