私は、米国に行くまで「話せばわかる」という言葉は、嘘だと思っていました。実際に、それまでの自分の経験で、話してわかってもらえたことが、ほとんどなかったからなのです。今振り返れば、おそらく私の誠意や熱意が足らなかったのでしょうが。

 しかし、渡米直後にある尊敬できるご婦人にお会いして、その考え方が間違えであることに気づきました。


彼女の名前はステファニーで、ドイツ系アメリカ人です。私が出会った時は、大学を中退してヒッピーをしていたご主人と結婚したばかりでした。その直前に、子供が生まれていました。

でも、私を含めた他人には、決して見せないようにしていましたが、明日の食事代にも困るくらい貧乏のどん底だったようです。

 夢は、ご主人を外交官にし、対話を通して世界平和に貢献することでした。私は、初めて会うなりいきなりその夢を聞かされました。

その後も何度も何度もステファニーは、私にその夢の語るのです。挙句の果てに、私にも「対話を通して、世界平和に貢献できる人になりなさい」と説教する始末でした。

ステファニーが直面している現実と夢とが、あまりにもかけ離れていたため、私はいつも半信半疑の思いで聞いていました。

そもそも、当時米国の外交官試験にパスするためには、大学院を出なければなりません。そんな、時間的・経済的・精神的余裕は、ステファニー一家にはまったくありませんでした。

 ところが、執念で、ご主人を無事大学と大学院を出させた上、何回かの挑戦で、遂に外交官試験に合格させたのでした。

ちなみに、ご主人は、外交官になってからは、いくつかの国に単身で派遣されました。そして、今は在中米国公使として、ステファニーと共に北京に住み、楽しく活躍しているとのことです。


 渡米したばかりでまったく友人がいなかった私に、生活に必要なことの何から何まで教えた上で、世話までしてくれたのもステファニーでした。

あまりのおせっかいさに、最初はとても戸惑いました。

でも、本気で私に、ご主人同様、将来世界平和に貢献できる立場の人間になってもらいたいと願っているのが、節々の言動を通してわかりました。ですので、ステファニーに対して知らず知らずのうちに尊敬と感謝の念を、私は抱き始めていました。


また、私にとってステファニーは、米国での母のような存在で、間違ったことをしたり、言ったりしたら、容赦なく叱ってくれたのです。

「他人なのになんでこんなに真剣に怒れるのだろう」と不思議に思っていました。

ステファニー自身が自分に非常に厳しい人で、一度目標を立てたら、何が何でも弱音を

吐くことなくやり抜くのです。

仕事や生活において近所で困っている人がいたら、自分のことは二の次にし、すぐに助けに飛んで行くような奉仕精神溢れる人なのです。


「対話ですべてが解決できる」は、彼女の口癖でした。

人種のるつぼである米国でしたので、ステファニーが住んでいた地域も、ベトナム人、中国人、メキシコ人、マレーシア人、フィリピン人、インド人、イラク人等々様々な人種が住んでいました。

 そのため、その地域では、争いごとが耐えません。それでも、ステファニーは、争いごとがある度に出て行って、仲裁を始めるのです。中には、今にもピストルで打ち合いが始まるのではないかという険悪な雰囲気の喧嘩もありました。

 それでも、ステファニーは一歩も引くことなく、対立している者同士を、対話できるように誘導していくのです。そして、最後は、喧嘩している者同士も、笑いながら肩を抱き合わせ、仲直りさせるのです。

 その一連のやり取りを何十回と見ていた私は、ステファニーの勇気とパワーの凄さと、彼女が言うとおり「対話ですべてが解決できる」を思い知らされたのでした。

彼女は、言います。

「腹を割って対話すれば、必ず解決できるのに、まず感情的になってしまって、どうやったら喧嘩に勝てるかということばかり考えています。とんでも、ないことです。喧嘩することが目的ではなく、お互いの立場と事情の違いをどう克服して、解決するかが目的なのです。とにかく、対話に持ち込めばさえすれば、既に解決したも同然です。ですから、私の仕事は、まず、双方に対話のテーブルに着かせることです」

 

 私はステファニーの精神を学び、何かあると対話で解決させることを、その後最大の努力をしてきました。ステファニーみたいな人が、皆さんの職場にいたら、どんなに心強いことでしょう。