米国の大学で学長をされている私が尊敬する先輩が漏らしました。

「浜口君、人生は終わってみないとわからないよね。例え今大成功していたとしても、それが死ぬまで続くとは誰にもわからないし、そうなる保証はどこにもないしね。また、既に大失敗して負けたように映っても、最後までに敗者復活するかも知れないしね。結局、最後が大事だね!」

 この場合の最後とは、死ぬ直前のことなのです。

「その人が成功したかどうかは、死んでいく姿を見ればわかる」

 ある人が言いました。

 確かに人生はマラソンのようなものです。途中トップで走っていて勝者に見えても、例えばゴール前で倒れてしまえば、最終的には負けとなってしまいます。

 私は20年近く米国にいました。

最初の10年は、大手国際会計・経営コンサルティング会社に勤めていました。

頭が悪く、英語もできなかった私が、「国際経営コンサルタント」になりたくて、日本の大学を出るなりいきなり、渡米したのです。そして、奇跡的に憧れの会社に、プロフェッショナル・スタッフとして採用されたのでした。

 やはり、現実は厳しいものでした。漫画のようにはいきません。

あまりにも専門能力と英語力がなかったことから、経営大学院(ビジネス・スクール)で勉強せざるを得ませんでした。

しかし、まともに受けても入れないのがわかっていました。なので、ないはずの知恵を絞って奥の手を考えたのです!

なんとほとんど「裏口入学」させてもらったのです。ただ、不正による「裏口入学」と違い、正々堂々と学部長と学長のお墨付きで入学審査委員会了承の下での「裏口入学」でした。

米国らしい例外扱いです。何しろ米国では、”Anything is negotiable”(なんでも交渉次第)が常識なのです。

 知能が低過ぎて、入学試験を受けても入れなかったので、論文を書いて直接学部長兼入学審査委員長に訴えたのです。ちなみに、論文評価は、入学試験審査の対象ではまったくありませんでした。でも、勝手に書いて、持っていったのです。

 いかに私がそのビジネス・スクールで勉強したいかを熱意を込めて訴えたのです。

その訴える一番いい方法が論文作成だと悟り一生懸命書いて、面談で内容を捲くし立てました。狙い通り、学部長は私のその熱意を高く評価してくれたのです! そして、条件付でビジネス・スクールで、勉強することを許可してくれたのです。

その条件とは、とりあえず1学期間だけ受講し、いい成績をとったら、正式に入学許可するとのことでした。と言うことは、悪い成績をとったなら、その時点で退学になるというものです。

結局、猛烈に勉強をし、なんとかギリギリの成績を維持して、晴れて正式にビジネス・スクールの大学院生にしてもらったのでした。その後、昼間はコンサルティング会社に働いていましたから、人よりも卒業するのに時間は倍かかりましたが、なんとか無事ビジネス・スクールを卒業できたのでした。

英語もできない私が、過酷なそのコンサルティング会社での仕事をこなしながら、夜ビジネス・スクールに行って勉強すること自体無謀でした。現に相談した人全員から、時間的にも能力的にも体力的にも絶対に私には無理だと断言されてました。

この経験を通して思いました。可能性がゼロでなければ、何事も挑戦する価値はある。何度ダメでも諦めずやり続ければ、道は自ずと開ける。そして、実現できる可能性がどんどん高まり、最後は夢や目標は叶う。

しかし、諦めたら、その時点で可能性はゼロになってしまいます。

ですから、最後の最後まで諦めず挑戦し続けるべきではないでしょうか。少なくとも、私は自分の能力を省みず、可能性がゼロでない限りすべてに挑戦し続けてきました。

まだ、挑戦途中のもありますが、お陰さまで、粘り勝ちでほとんどの目標や夢は実現させました。

でも、まだまだこれからです。マラソンで言うと、まだ折り返し時点までたどり着いていないのです。いつ苦しくなって倒れるかも知れません。

それでもいいのです。どんなことがあっても最後まで走り続けますので。私にとっての人生の成功とは、最後まで走り続けることなのです。

結局、人生の成功・不成功は、自身が自分に勝ったかどうかを決めることだと思います。ですから、あなた以外の誰が決めることでもないのです。