大森浩一さん(仮名)は、商業高校を卒業した後、小さな不動産会社で営業の仕事をしていた。ところが、会社が倒産し、いきなり職を失う。入社して五年目の出来事だった。まともな次の仕事がなかなか見つからず、焦りとショックで一カ月ほどは夜もろくに眠れなかったという。

 そこで大森さんは、アメリカで商売を始めることを決意する。高校のときから定めていた目標に本気で挑戦することにしたのだ。前の会社での経験を生かし、アメリカでも不動産業を起こしたかったものの、英語力とアメリカの不動産業界についての知識や専門能力がない。

 とりあえずアメリカの大学に留学することによって、必要な英語力と知識・専門能力を習得することにした。そのため二年間はさまざまなアルバイトをしながら留学資金を貯め、まず独学で英語の基礎力をつけることに専念した。その努力の甲斐があり、なんとか不動産学科のある大学に、条件付き(大学付属英語学校で最低三カ月毎日英語のレッスンを受けること)で合格することができた。

 大森さんは無事英語学校を終え、4年制大学で勉強を始める。在学中は、幸運にも大学の近くにある、日本での経験を買われ、インターンとして卒業するまで働かせてもらった。

 さらに、卒業後も七年間そこで働かせてもらい、その間に永住権も取得。大森さんは、「永住権を持たないとアメリカで起業することが難しいと知った。一日も早く独立したかったが、永住権が取れるまで会社をクビにならないよう必死に働いた」と当時を語る。

 仕事で知り合ったアメリカ人とパートナーシップを組み、遂に念願の会社を起こすと同時に前の会社の従業員九人のうち、五人のアメリカ人が彼の下で働かせてほしいと馳せ参じた。

 みんな仲のよい同僚や部下だった。一緒にやりたいのはやまやまだが、事業を始めたばかりで仕事もないのにいきなり五人の従業員を雇うことはできない。友人や知人からやっとの思いで集めた40万ドル近い資金があっという間になくなってしまう。パートナーに相談しても具体的な案は出てこない。

 私の事務所に大森さんから電話がかかってきたのは、そんなときだった。話を聞いて、以下の三つのアドバイスをした。

()会社をパートナーシップから株式に変え、株式の公開を目指すことを前提に、役職・責任・(会社への)貢献度に応じて従業員にストックオプションを渡す

()基本給はできるだけ下げ、成果主義給与制(コミッション制)で、ボーナスは成果を出した社員にのみ支給する

(3)パートナーと大森さんは、会社が利益を生み出すまで給与を取らないか、必要最低限に抑える

 つまり、徹底した成果主義と適度な競争を社内に定着させ、パートナーと社員をやる気にさせる意図がある。やる気のないパートナーや社員は辞めざるをえなくなる仕組みだ。

 ほとんどの日本人は、友人や昔の仲間(上司・同僚・部下)とアメリカで起業する場合に、最初から致命的なミスを犯す。仲良しグループ的発想で会社を起こし、成果主義や利益追求を軽視する。

 ベンチャー企業にとって成功への大きなカギとなるが、パートナーや従業員をどれだけやる気にさせられるかである。そのためには、成果主義や貢献度に合わせた利益の配分は欠かせない。

 大森さんは、パートナーの反対を押し切り、私の三つのアドバイスを直ちに実行に移した。彼自身すぐに顧客を獲得し、取引を成立させるなどの成果を出す。

 しかし、もともと大森さんの力を当てにしていたそのパートナーは、風呂敷は大きく広げるが成果はほとんど出せない。結局、明らかに会社にとってマイナスの存在となってきたため、もめた末に一年ほどで辞めてもらうことにした。

 社員についても、成果の出せる人とそうでない人との収入の差は、三倍以上にもなり、成果の出せない社員は三カ月ともたずに辞めていく。一方、どんどん新入社員を採用していくので、やる気と実力のある人のみが残っていく。そういうことで、創業して三年で社員数は50人に増え、会社は毎月増収増益を続けている。

 英語のハンディを自覚していた大森さんは、新たにアメリカ人パートナーを副社長として迎え、アメリカ人ブローカーの管理を任せた。彼にもストックオプションを会社の利益に応じて分配(10%)をするようにしたところ俄然頑張り、利益は六カ月後には前年同期比で30%もアップした。

 大森さんは、「経済的インセンティブが、こんなにアメリカ人のやる気を引き出し、威力を発揮するとは!日本人の感覚では信じ難いものがある」と驚きの色を隠せない。

三つのポイント

ポイント1

徹底した成果主義と適度な競争が社内に活力をもたらす

ポイント2

株式公開を前提に従業員にストックオプションを渡す

ポイント3

成果主義の給与体系でやる気のある社員のみ残す