幼いころから海外旅行が好きだった酒井智子さん(仮名)は、アメリカの大学に留学して、経営学を専攻した後、そのままアメリカで日系の大手旅行会社に就職した。

 入社した当時、23歳とまだ若かったが、外交的な性格で丁寧に素早く仕事をこなしていく彼女は、自然と人気が高まり、顧客をどんどん増やしていく。入社して一年も経つと、六人いる支店スタッフの中で、常時トップの営業成績を上げるようになる。

 信頼を深めた酒井さんは、同じ支店で一緒に働いていた有能なアメリカ人の同僚二人とともに独立することにした。酒井さんが担当していた顧客は彼女の献身的なサービスを高く評価していたことから、ほぼ全員が彼女の新しい会社の顧客となった。

 順調な滑り出しに見えたが、酒井さんはすぐに限界を感じるようになっていた。一店舗しかないため、毎日忙しく過ごしているにもかかわらず、売り上げが一定以上伸びないのだ。この業界では、全米の主要都市に支店網をめぐらせていないと、大手との競争では生き残れない。

 悩んだ結果、酒井さんは全米に支店を出す計画を立てて、アメリカ人パートナーに提案してみた。独立して二年目のことだ。支店を出しても、「成功のカギとなるはずの人材確保が困難である」との理由でパートナーたちは反対する。

 困り果てた酒井さんが知人を介して、コンサルタントである私のところへ最初に相談に来たのは、日本のバブル経済崩壊の直後だった。偶然にもそのとき、私のクライアントの中にC社があった。その中堅の日系旅行代理店は、バブル崩壊の影響を受けてアメリカから撤退することを決め、全米にある支店を閉める相談を持ちかけてきていたのだった。

 私は酒井さんに、そのC社のアメリカにある五つの支店を買収しないかと提案してみた。しかし、酒井さんは、「資金がまったくないので無理だ」という。

 そこで、もともと支店を閉めることしか考えていなかったC社に、酒井さんの会社にタダ同然で譲ってもらえないかと交渉してみたところ、「従業員を解雇しない」という条件で、承認をとりつけることができた。

 酒井さんたちは、迷わずその条件を呑み、C社の米国法人を破格の安値で買収し、いきなり五つの支店を増やすことができた。何よりも助かったのは、優秀な人材を一挙に獲得できたことだ。

 もし、酒井さんたちが、C社の支店を買収することなく、五つの支店を自力で開いていく戦略をとっていたとしたら、当時の彼らの財務状況から判断して、おそらく五年はかっかたであろう。買収によって日系社会における彼らの知名度・信用力は一挙に上がっていった。

 エコノミー・オブ・スケール(規模のメリット)によるコスト削減や、短期間で全米レベルの情報ネットワークを確立できることは、ベンチャー企業にとっての大きな財産であり、M&Aだからこそできるダイナミックさといえる。日本のベンチャー企業も、この手法を大いに取り入れて活用すべきだと思う。

 酒井さんは独立したばかりのころは、日本人社会を主な顧客対象として商売することを考えていたが、バブル崩壊後、日本人の駐在員は減る一方で、その市場はどんどん小さくなっていった。そのためC社の支店を買収した後、アメリカ人対象へとターゲットをシフトさせていったことで、日系の旅行代理店としては、珍しく業績がよくなっていった。

 しかし、日経の現地旅行会社として会社を経営していくうえで、酒井さんにはもう一つ大きな悩みがあった。それは、日本に拠点がないことだった。酒井さんは、日本に支店を開設することを真剣に検討するが、初期投資コストと維持経費がかかりすぎて採算がとても合わない。

 再び相談を受けた私は、日本の旅行会社や視察企画会社との戦略的提携を提案した。その提案を受け入れた酒井さんは、半年後に東京に本社を置き、アメリカには支店を持っていない中堅旅行会社と提携した。また、その三カ月後には、大阪にある視察企画会社と提携し日本とのビジネスを強化していった。

 ちなみにアメリカでは、力のある大手・中堅企業と提携することは、資金力のないベンチャー企業がコストをかけないで急成長するための最も有効な戦略的手段として、企業の各成長過程で頻繁に使われる。

 マイクロソフト社がベンチャー企業としてまだ資金力、販売力、知名度、信用力を十分に持たなかったころ、急成長への大きな布石になったのがIBM社との提携だったことは、そのいい例である。

 酒井さんの会社も、M&Aや戦略的提携によって成長への大きな基盤ができ、その後年率30%以上の成長を毎年続けている。

 

三つのポイント

ポイント1

支店網拡大や人材確保の時間節約には買収戦略が効果的

ポイント2

相手の状況次第では、タダ同然で買収が可能なこともある

ポイント3

大手企業との戦略的提携で急成長の足がかりをつかめる