青山洋介氏(仮名)は、二浪して念願の大学に入学したものの、就職に際し、希望の会社に入れず途方に暮れた。「一流企業に入ることを最大の目標にしてきた僕の人生は、何だったのか」。

 喫茶店のウエイターをしながら就職先を探したが、なかなか見つからない。いらだちが極限に達したとき、彼は気分転換にアメリカ旅行に出かけた。あまり日本人が行かないところで、しかも急成長している都市ということで、テキサス州ダラス市の北部にホームステイする。

 ホームステイ先の五二歳になる一家の主は、大企業を辞めて、同僚二人とともにボイスメールの会社を起こす直前だった。そのため、三人は毎日彼の家のガレージに集まり、深夜まで事業計画を練ったり、製品開発をしていた。

 工学部出身の青山氏は、最初は他人事のように眺めていたものの、だんだん興味を抱く。そのうち三人から誘われ、英語の勉強のつもりでアシスタントとなり、研究・開発の手伝いを始めた。根っから技術研究が好きな青山氏である。気がついたら、製品を完成させることに没頭していた。

 三人のアメリカ人は、青山氏に技術者としてのみならず、起業家としての才能があることに気づき、このまま一緒に会社を立ち上げてほしい、と頼み込む。青山氏も仲間に加わってから、寝ているとき以外いつも会社と製品のことを考え、それが楽しくてしょうがない。何よりもうれしかったのは、自分の親と同年代三人が、大学を出たばかりの青山氏の指示で動いてくれることだ。英語も大して話せなかった青山氏だが、短期間で製品開発計画を完成させ、彼が中心になると不思議と三人が団結する。そこで、遂に彼に社長になるよう要請する。

 驚いたのは青山氏だ。若くビジネス経験もないうえ、右も左も分からない異国の地、アメリカだ。しかし、「NO!」と言えない性格の青山氏は、プロの経営者を見つけるまでの「ピンチヒッター」ということで、しぶしぶ引き受けた。

 青山氏が社長になって間もなく、試作品が完成した。それをテキサス大学主催の、プロの投資家たちが集まる「ベンチャーフォーラム」で発表したところ、ベンチャーキャピタル五社が興味を示し、そのうちの三社が、青山氏を含めた四人がそのまま経営を続けることを条件に合計約七〇〇万㌦の出資を申し込んできた。

 社長を辞められなくなった青山氏は困惑した。その資金で従業員を雇ったり、工場を確保しなければならない。ガレージの中とは違ってこれからは本格的な会社経営だ。ただ、もう後には引けない。

 現在青山氏は、急成長中のベンチャー企業最高経営責任者(CEO)として、二年後のNASDAQでの店頭公開を目標に、アメリカンドリームを描き始めた。「こんなに充実した人生が歩めるとは思いも寄りませんでした」と目を輝かす二五歳の青山氏。ベンチャー企業なので、将来倒産するかもしれないことは、十分覚悟の上だ。しかし、失敗しても再度挑戦が許されるこの国の魅力を、彼は知悉している。

 今アメリカに行って起業する日本人が急増している。最初から起業目的で渡米する人もいれば、青山氏のように、偶然会社を始める人もいる。

 私は、一五年間日米でコンサルティングをしてきたが、日本人がアメリカで起業するのに、今ほど絶好のタイミングはこれからはまずない、と痛感している。それは、日本の長引く不況に対し、アメリカでは好景気が続いているという理由のほか、次のような条件が整っているためだ。


(1)世界一のベンチャー立国・アメリカの充実した起業支援態勢と環境

(2)豊富なリスク・マネー(ハイリスクであるベンチャー企業への投資資金)

(3)公開・上場も難しくないこと

(4)エンジェル・ベンチャーキャピタリスト、起業コンサルタントなど多くの起業支援プロフェッショナルの存在

(5)起業家に対する社会的評価が高く、倒産等の失敗を許容する風土

 

第四次産業革命が到来しているといわれる今、情報通信技術、特にインターネットを基盤として、世の中は大きく変わろうとしている。残念ながら日本にいると、その新たな「産業革命」の動きや展開の早さ・凄さ・ダイナミックさが実感できない。

 それがサンゼノの「シリコンバレー」、ダラスの「テレコム・コライダー」、オースティンの「シリコンヒル」などハイテク・ベンチャー集積地で起業してみると、身にしみて分かるのだ。


三つのポイント


ポイント1

若くてビジネス経験がなくてもベンチャー企業は起こせる

ポイント2

 資金面をはじめ、アメリカではベンチャー支援態勢が充実している

ポイント3

 インターネットによる産業革命が起業の大きなチャンスをもたらす