よく適職と天職を混同する人がいます。適職は、文字通り「その人に適した職業」で、天職は、「天から授かった職」の意があります。つまり、自分に合っている職務や職業です。

集合論から言えば、「適職」の集合体の中に、更に「天職」というグループがあり、天職は運命的なもので、その人に生きがい、やりがい、使命を感じさせる職業なのです。ですから、就くべくして就いた職業です。

 それでは、どうしたら天職だとわかるのでしょう? ご参考のために、私がどうやって天職、つまり今の職業である「国際経営コンサルタント」業を見つけたかを説明します。要は、次の6つを実行したのです。


(1) 自分の長所・短所を考えると同時に、周りの人からも指摘してもらう

(2) 自分の今までしてきた、また今後したい趣味を明確にする

(3) 様々なやりたい仕事をアルバイト、ボランティア、インターンでもいいので経験させてもらう

(4) やってみたそうな職業の人に会いまくり、仕事の内容を聞き、アドバイスを貰う

(5) やりたそうな仕事に関する本を読みまくる

(6) 様々な仕事、特に興味のある職業についている人のセミナーや講演会に出て、質問をし、その仕事に関する疑問を解く


 私の場合、頭が悪く成績も良くなかったことから、高校に入ってから大学に行く気が段々薄れていきました。また、行けるだけの成績でもありませんでした。

ある時、担任の先生から、両親と共に、学校に呼ばれました。

「浜口君は、このままだと、うちの大学にも推薦できませんし、万が一受験しても、どこの大学にも受からないでしょう。あまり後になって期待を持たせるのも、教師として無責任ですので、今のうちにお伝えしておきます。もし、本人に大学に行く気があり、ご両親もそれを応援されたいのでしたら、今からでも遅くありませんので、浜口君が頑張れる環境を作るべきだと思います」

 両親は、その担任の先生からの報告とアドバイスを聞いて、愕然とした様子でした。勉強ができないのは知っていたようですが、そこまでできないことを聞いて、さすがにショックだったのです。

 私も悩みました。これ以上両親や学校の先生方に、心配と迷惑をかけられないので。昔から行動力だけはあったのですが、それで突然突拍子もないことを考え、行動に移しました。

親に内緒で、松下電器産業を創業し、世界的な企業へと育て上げ、「経営の神様」と言われていた松下幸之助氏に、アドバイスを求め、大阪までお会いしに行ったのです。

彼は実際、高等教育を受けずして、商売の世界で大成功をした人です。ですので、松下氏とお会いし話を伺えば、将来への大きなヒントをもらえるのではないかと、ずうずうしく思ったのです。怖いもの知らずの高校生だったのでしょう!

ただ、世界の松下公です。事前の紹介もアポもなしで、バカな一高校生が突然お会いできる可能性は極めて低いものでした。しかし、当時、私は、松下氏しか高等教育を受けていない大経営者を知りませんでした。

刑事のように様々な所で彼を張っていたのですが、警備が厳しかったことから、まったくチャンスなしです。それでも、結局粘り勝ちで、当時の自宅の門番が私の熱意とやる気に共鳴し、協力してくれました。それで、ほんのちょっと時間でしたが、松下氏に繋いでくれたのです。

松下氏は、私の「大学に行くべきでしょうか?」との質問に、丁寧かつストレートに答えてくれました。

これからは、商売の世界でも、国際化、IT化、スピード化が想像を絶する勢いで進むため、行けるのであれば、大学でしっかり学び、人間として総合力を身につけるべきであることをアドバイスしてくれました。ちなみに、ご自身も健康で経済的に余裕があれば、高等教育を受けたかったのだそうです。


その後、英語科だった担任先生の薦めと両親の応援もあり、高校3年生の夏に、米国ワシントン州のシアトルから車で3時間くらいの小さな盆地の町であるウエナッチで、1ヶ月間アメリカ人宅でホームステイをするチャンスを貰いました。

そんな小さな田舎町でしたが、松下幸之助氏が言われていたことを実感し、思いました。

「これからは、松下氏が言われた通り、まさに国際化、IT化、コンピュータ化の時代だ。どんな職業に就くにしても、それに遅れたら、取り残されてしまう!」と。

 世界をリードする米国で、これからの日本に押し寄せてくるであろう海外からの国際化、IT化、スピード化の波を目の当たりにした私は、それを機に、生き方が大きく変わったのでした。

「勉強はできないけど、バカだけど、この波に先に乗れば、僕でもなんとかやっていけるかも……なんとか敗者復活したい!」

生き残りをかけて、帰国後、将来何をすればいいのか徹底的に模索し始めました。その際、実践したのが、先に挙げた6つのことなのです。


まず、自分自身で長所・短所を考えると同時に、家族や学校の先生方を含め周りの人からもどんどん指摘してもらうようにしました。それによって、自分の得意な分野で勝負しようと思ったのです。

第二に、その時までしてきた、また今後したい趣味を明確にし、趣味が仕事にできないかと模索したのです。

当時の私の趣味は、高校生という身分では変わっているとよく言われていましたが、人の相談に乗り、激励し、元気付けることでした。調べた結果、それに最も近い職業は、カウンセラーで、苦手そうな分野である心理学を勉強しなければならなさそうで、私は一挙にその道を諦めるムードになってしまいました。

しかし、後になって、「国際経営コンサルタント」という職業を知り、それは広義のカウンセラーであることを学びました。

第三として、何をしていいのかわからなかった私は、様々なやりたい仕事をアルバイトやボランティアとして経験させてもらいました。ちなみに、大学を卒業するまで、30近くアルバイトやボランティア活動を行い、自分という人間が何に向いているか、どんな使命があるのか、なんとなくわかってきたのもこの頃です。

四番目に、やってみたそうな職業の人に会いまくり、仕事の内容を聞き、アドバイスを貰いました。特に大きな影響を受けたのが、たまたま本屋で見つけた本「英語留学と国際派就職」の著者Y先生でした。

既にY氏との出会いのエピソードは紹介しましたので、ここでは省きます。彼が「国際経営コンサルタント」なる職業をしていて、彼の事務所に遊びに行く度に、知れば知るほどぜひ同じ仕事がしたいと思うようになりました。

ほとんど直感みたいなもので、限られてはいましたが、Y氏の仕事振りを見ていて私にとても適しているような気がしたのです。

第五として、Y氏との出会いによって「国際経営コンサルタント」という職業を知った私は、その仕事の中身や将来性を知りたくて、「国際経営コンサルタント」に関する本は、当時まだ出版されていませんでしたので、もっと広域となる「経営コンサルタント」や、更にあらゆる分野の「コンサルタント」業、並びに「コンサルティング」に関する本を読みまくりました。

その中で特に参考になったのが、経営コンサルタントとしてパイオニアの一人であった、「田辺経営」創業者である田辺昇一社長(当時)が書かれた「経営コンサルタント入門」でした。著書の中で、経営コンサルタントとしての仕事がきめ細かく説明されており、更に田辺氏ご自身の日々のスケジュールまで丁寧に紹介されていたのです。

何度も何度も読み返すうちに、やはり私に向いていて、生涯やり続けたい職業であることを実感しました。この時、「国際経営コンサルタント」業が適職を通り越して、天職であるに違いないと思ったのです。

六番目に、様々な仕事、特に興味のある「経営コンサルタント」業についている人のセミナーや講演会に出て、その仕事に関する本を読んでいく中で持った疑問を、講師にすべて聞きました。それによって、本当に自分がその仕事が理解できたのかを確認すると共に、生涯の仕事として、いいのかどうか自問自答できました。

このようなプロセスを通して、「国際経営コンサルタント」という職業が適職以上の天職であることを確認し、その分野の一流を目指し、大学卒業後、渡米し修行を始めたのでした。