一般的には、転職とは、暮していくための仕事、つまり職業を変えること、勤めていれば、他の会社に就職先を変えることです。しかし、それは表面的な意味であって本質的なことではありません。正しい転職の本質は、キャリア・アップ、つまり将来の夢や目標に近づくためのプロセスなのです。

 ですから、ただ単に今の仕事が嫌いだから他の仕事をするという後ろ向きなことではありません。

 私は、独立する前、新卒で就職した会社を含め2社に勤めましたので、転職を経験しています。日本の大学を卒業してすぐに、幸運にも憧れていた世界最大級の国際会計・経営コンサルティング会社、KPMGのニューヨーク本社に就職しました。その後、ダラス事務所に移り、KPMGには計8年間お世話になりました。

 ある時、同社での勤務も8年目に入ろうとした時、同業他社であるプライス・ウォーターハウスという会社の国際部門トップとプロフェッショナル・スタッフを1500人有するダラス事務所所長で同社の経営メンバーの一人でもある方から、ほとんど同時期に電話で連絡を頂きました。

「一度いっしょに食事でもしながら業界の情報や意見交換をしませんか?」

そんな軽い感じでした。でも、それが転職へのお誘いであることをすぐに察知しました。二人とも超多忙となる重職に就いていましたから、若い他社の私と世間話をするほど時間的に余裕はないからです。

実はその国際部門トップは、米国で日本人として初めて、米国公認会計士(CPA)になった超大物会計士でした。

 私も彼の名前は、マスコミや業界を通じてよく聞いておりました。まさに私にとっては、目指すべく伝説の人でした。その彼から、突然言われました。

「君のことは、色々な人から聞きました。相当仕事ができると皆口を揃えて言っています。地元の業界でも君の営業力は凄いと噂になっている。ぜひ当社に国際部のリーダーの一人として来下さい」

 「寝耳に水」とはこのことです。私のことを皆が知ってるなんて有り得ないし、仕事も大してできたわけではないのです。

競合他社から見て、少し目立っていたのは、仕事のできる実力派上司に仕えていたため、彼が昇進する度に、部下である私までも引き上げてくれたことから、スピード出世できただけなのです。そして、前年度幸運にも少し営業で成果を出せただけで、業界で知られる程度では全然ありません。とにかくまったく私の力ではなかったのです。

「さすが競合他社のトップクラスだけあって、人を乗せるのが上手いなあ……危ない危ない……」と返って彼らの言葉に警戒したのでした。

 それで、彼らの私に対する評価の大きな勘違いを説明したのです。しかし、それは日本人特有の謙遜さだということで、逆にまた、私をリクルートする興味をそそってしまったようでした。

「シマッタ! 彼らと少しでも長く話したら彼らのペースにはめられてしまう。もうこれ以上話すのは止めよう!」

と、できるだけ取り合わないことにしました。

KPMGでの職務、待遇、報酬に十分満足していましたし、上司や職場環境は素晴らしいものがありました。ですから、転職のお誘いにはまったく興味はありません。競合他社であれば、なおさらです。

 それから1年近く彼らは、私を諦めようとせず、毎週のように会食のお誘いがありました。 そこまで私を高く買ってくれていることは、大変光栄で有り難くはありました。でも、スピード出世させて頂いたこと、報酬面でも同じ役職の人より特別に高くして頂いていたこと、さらに素晴らしく有能な秘書を一人単独でつけてくれたこと等々、ありとあらゆる面で、KPMG社と直属の上司は、私を優遇してくれていました。

私にとっては大変な恩人で、お誘い頂いている会社、プライス・ウォーターハウス社は、お互い熾烈な競争を繰り広げている競合他社です。その会社に転職するということは、上司を裏切るようなものです。日本男児としての自分には、殺されてもできないぐらいの硬い決意がありました。

そこで、悩んだ挙句、プライス・ウォーターハウス社の方々には、お断りするために転職のための条件を出しました。その条件とは、次の3点です。

(1) 当時KPMGで頂いていた2倍の報酬を貰うこと

(2) 日本人バイリンガルと有能なアメリカ人の2人の秘書を私に単独につけること

(3) 監査、税務、経営コンサルティングの3部門を統括する立場(ディレクター)にす

ること

 当時、私はまだ28歳の青二才でしたので、業界では非常識極まりない条件でした。ちなみに、当時ディレクター職に就いていたのは、50歳台の経験豊かなアメリカ人だけでした。 

私は長年お世話になっていたKPMGと上司達にとても感謝していましたので、素晴らしいプライス・ウォーターハウス社のリーダー達からのお誘いも何とか平和的に断る方法がないかとずっと模索しました。

 その結果考えたのが、プライス・ウォーターハウス社が絶対に呑めないであろう転職のための条件を出すことだったのです。ですから、苦肉の策でその3条件を考え出したのです。伝えた瞬間、プライス・ウォーターハウス社の国際部のトップが言いました。

「う~ん、その条件は法外ですね! いくら業界で一番いい条件を出すうちでも、なかなかそこまでは出せないですね。第一そんな法外な条件を了承できる権限は、私にありません。しかし、なんとかしてあなたに来てもらいたいので、3日間待って下さい。弊社の中でもその条件を決済できるのは、ニューヨークの本社にいるトップ、即ちCEO(最高経営責任者)しかいません。なので、その条件を呑ませるためCEOと直接会って説得してきます!」

 私は転職を断るために絶対に彼らが呑めないであろう条件を出したつもりでした。その言葉を聞いて、少し焦りましたが、彼らが受け入れられる可能性は、限りなくゼロに近いと確信していたので、これで断れたとホッとしたのです。電話もないだろうと。

 ところが、本当に3日目に、彼らからまた電話がありました。私の出した条件を、CEOが喜んで承諾したと言うのです!

「シマッタ! なんてこった!」

 とっさに私は叫んでいました。電話の相手の笑い声が、不気味に聞こえるくらいパニくっていました。

私は武士道的生き方が好きです。武士には二言はありません。つまり、一度約束したことは、武士は命懸けで守ります。本当に大変なことになりました。しかしながら、やっぱり、転職するわけにはいきません。KPMGでお世話になった上司を裏切ることの方が、もっと罪が深いと思ったのです。

結局、悩みに悩んだ結果、KPMGの直属の上司に相談しました。そうしたら、ビックリする答えが返ってきたのです。

「ネイト(私の米国でのニックネーム)、よく正直に話してくれたね。ありがとう! 君は私の下で今までいつも素直に全力で仕事をし、支えてくれたね。本当に感謝している。おそらく私の権限が及ぶ範囲では、君が外国人として上がれる最も高い地位にできたと思うよ。でも、これからはどれだけ君を昇進させられるか正直言って自信がない。第一私自身ある程度まで来たが、今後どこまで上に行けるかまったくわからないんだ。今、プライス・ウォーターハウス社が出している条件は素晴らしいものじゃないか! 君だってあと2年で独立したいと言ってたよなあ。私だったら残りの2年そんな素晴らしい条件を出してくれたプライス・ウォーターハウス社で働きながら準備するなあ…… さあ、私に遠慮することはないよ! 彼らのところで、独立するまでとことん頑張って力をつけたらいいじゃないか。私の上司には上手く言っておくよ! できるだけ多くの退職金も出るよう手配するから。頑張んなさい! 陰で応援するから」

 私は泣けて泣けてしょうがありませんでした。熾烈な競争を繰り広げている競合他社に行くのに、私のキャリア・アップにとっていいということで、心から歓迎してくれているのです。「なんて器の大きい人だろう!」と感激しました。

 それで、私は転職を決めたのですが、KPMGのお勤め最終日に、その上司の音頭の下、私がいた部署全員が集まり、盛大な送別会をやってくれました。感謝感激でした。


 本当に手前味噌な話で恐縮なのですが、私は転職をする時には、2つのことを満たさないとしないと決めていました。一つは、辞める先と転職先の両社から本音で祝福される場合。もう一つは、キャリア・アップに繋がる場合です。

 私のように両社、特に直属の上司から祝福される場合は、珍しいのかも知れませんが、最低でも、将来目指している目標に近づくキャリア・アップでなければ、転職はあまり意味がないと判断しています。

 よく、日本でも、少しでも高い報酬と待遇のために、外資系企業を短期間で転々とするエリート達がいます。が、私はそのように報酬と待遇のためにやたらと転職することは大反対です。

そんなことをしていたら、まず、しまいに行くところがなくなるという自殺行為になります。更に、職業人としては確かに仕事はできるかも知れませんが、人間として、周りの人達からは、信用されなくなるでしょう。

 転職で忘れてはならないことがあります。我々は、職業人である前に、社会人であり、人間なのです。実は仕事とは、あなたができるからではなく、人間として信用されているから、得ているのです。転職で成功できる絶対条件は、人間的に信用されることなのです。