時と場合によっては、嘘をつくことも正しいことがあるのです。つまり、「知らぬが仏」とも言いますが、本当のことを知らせない方が親切な場合があります。

 また、「嘘も方便」と、よく聞きますが、元々仏教語で、「衆生つまり民衆を導くのに用いる便宜的な方法」を指していました。例えば、釈迦が、難しい「法華経」説くのに、最初から最高レベルの教えを説くと、民衆が理解に苦しみ、ついて来れなります。ですので、仮の教えでまず理解させ、その後徐々にレベルアップをしていきます。丁度数学の学習のように。

 これは、釈迦が民衆に対する深い慈悲の心があったから、嘘が言えたのです。そもそも嘘をつくことは、いけないことです。しかし、時と場合によっては、嘘をついてあげる方が、相手が幸せになったり、傷つけないで済むケースも往々にしてあります。

 ですから、時には、相手の置かれている状況や気持ちを思いやるため、正々堂々と嘘をつきましょう。

 ある時たまたま、顧問先企業の社長と社員の会話を聞いてしまいました。

 「社長任せて下さい。私が新規顧客開拓をし、どんどん稼ぎますから……」

 「ありがとう! 上手くいくか否かは別にして、例え嘘でも、君のその私や会社を思いやる気持ちが凄く嬉しいよ!」

 「はい、だって、私は社長が大好きですから…… いつも社長をどうやったら喜ばせられるかを考えています」 

 実は社長は、この「嘘も方便」をわきまえている社員に対し、有り難味と頼もしさを強く感じたのです。ですから、その後、社長はその社員をどんどん昇進させました。最終的には次期後継者、つまり社長候補として期間を決めて評価しています。

 実は、この「嘘も方便」が実践できている人が少ないのです。と言うのは、一種のハッタリでもありますから、どこまで信じさせてもいいのか、結構葛藤しています。

 四角四面の人から見ると、一見いい加減な人事をしているように見えます。しかし、社長や上司も所詮人間ですから、会社のために頑張ってくれ、言ったことにチャレンジしてくれる人をとても大事にします。従ってそのタイプは出世も早いのです。