(六)
テーマは「水」
彼岸/the otherside of the water.
この溝は多分、小金井の水道から引いたものらしく、能く澄でいて、青草の間を、さも心地よさそうに流れて・・・。
※こがねい→cognate/同じ祖先の。
夏の日の光、夏の雲、空の秀逸な描写に続いて《不羈奔逸の気が何処ともなく空中に微動している》
「不帰の客、宇宙にどうしている」というメッセージに行きつく。
羅馬は逝きぬ、江戸は逝きぬ、鎌倉は逝きぬ(略)されど見よ自然は依然たり、美は依然たり、人情は依然たり、而して死の法則は依然たり。吾等も逝く可し。(略)嗚呼吾も逝く可し、羅馬人の如く鎌倉びとの如く逝く可し、永久に逝く可し。
吾は時の古今に支配せられず。吾が生まれし時が明治の世なると、草昧の時なるとを問はざる也。(略)
故に路を歩みて多くの人を見て其人たるを見るのみ。古人たるとを問わざる也。只だ人情を見んことを希ふのみ(明治二十六年九月十五日)
独歩は不帰の客、死んでいった人が何処にそうしているのかその世界を『武蔵野』の中に作り込みたかったのだと思う。再度明治二十八年七月二十五日の記に「昨日より『死』を作りはじめて已に四十餘枚を書きぬ」とある。
明治二十七年六月十六日の記にダンテを読んだことを記している。
独歩の中でダンテの『神曲』の想念を膨らめていったのではないか。