二番目の監視人、本を持った男、窓ぎわの男、もう一人の男、後者、大きい方の監視人、そしてやっと「ヴィレムとよばれた男」と名前が判明する。

この監視人は「わたしの名目をみだりに唱えてはいけない」と云った人ではないか。

 旅行服を着た男は(ユダ)、ヴィレムは(天のお父さま)

 

Kはこんな話にはほとんど注意していなかった。

※注意/achtete→achten/評価する、尊敬する

 ほとんど~ない/kaum→するかしないうちに

《Kはこの話をするかしないうちに(たちまち)評価した》

 

自分の持ち物の裁量権はまだ彼の手中にあるらしかったが、彼はそんなものには重きをおいてなかったし、それよりもいまは自分の状況を明確に知ることのほうがはるかに大事だった。

※状況/Lage→Lager/手持ち品

☆持ち物というのは精神のこと、まだ精神の自由は自分の側にあるとしてもそんなことはどうでもいいと言っており、いったんは持ち物(精神)など否定しているが、実のところ、自分の精神を明確に知ることは非常に大事なことだと。

 

二人目の監視人の腹がなんどでも、表向き親しげに彼につき当たってくるのだが、見上げればしかし彼の目に入るのは、このでっかいからだにふさわしからぬ干からびて骨張ったやつの顔でありたけだけしいわきにねじくれた鼻であり、その顔が彼の頭ごしにもう一人の監視人と内々で話をつけているところなのだ。

※腹/Bauch→Buch/本(聖書)

「わたしの名前をみだりに唱えてはいけない」(ヤーヴェ)

 

そしてここは二重の意味でこの監視人は太陽(Kもフランツも太陽の化身)であるから、腹(つまり球体の部分)地球に陽が昇り火が沈みように、あたかも接触してくるようだと言っている。

 

 雲に覆われた空を見上げるまでもなく、風景の色調だけで、まだ直接の陽射しこそないが、陰翳がすっぽり薄れてきえさろうと していること、したがってこの理由だけからしても、ほかに証拠がなくても、やがて太陽がいたるところに燦然と輝くであろうことが、ひしひしと感じられることがある。この場合の予感がちょうどそれに似て…(『断片』より)

 

彼は光ではなく、ただ、光りについてあかしをするために来たのである。(第一章)

わたしは真理についてあかしをするために生まれ、またそのためにこの世にきたのである(第18章)『ヨハネによる福音書』

 

カフカは「人は死んで太陽(光)になる」と暗示している。ということは人の存在そのものが真理であって、真理は人が人であることによって証明される、ということにほかならない。

 

一体こいつらはどういう人間なんだろう?何のことを話し合っているんだろう?どんな役所にしょぞくしているんだる?

※役所/Behorde→(カトリック)省庁

 

いたるところ平和が支配し、法は厳然としてある。

※支配/herrschte→der Herr/神、unser Herr/わが主キリスト

 平和/Friede、friede furst/平和の主、キリスト

 

彼は今度ばかりは監視人フランツを一目見た瞬間から、かたく決心していたのだった、彼がこの男たちにたいして持っているかもしれぬどんなわずかな利点とは何だろう?

天のお父さまとユダにたいして持っている利点?それはまだ生きているということかも知れない。

 

いまは決して手放すまい→まだ死ねない(人としても証をたてるまでは)