作品は、人間の根源への問いという主題に見えることと見えないものを言語(媒体)を持ってつなぐという三位一体の伏線によって構成されている。
カフカのいうアルキメデスの梃子の点、さすれば、地球を動かしてみせようと言ったその点とは「北極星」(Polaris)である。
『城』では酒場(Bar)の床穴(化身としてのフリーダ)が星座のこぐま座(Bar)の北極星であり、『審判』では屋根裏部屋に空いた穴(化身としてエルザ・エルナ)がこぐま座(Ursa/Minor)を暗示、示唆している。
(ちなみに、こぐま座の北極星の別名アルルカッバというのは「天の審判者」という意味とのこと。
「犬のようだ!」、と彼は言った。恥辱だけが生き残るように思われた(第十章)
このラストは衝撃的であるが、犬のように死ぬからではない!「犬のようだ!」という言葉はK自身につての自嘲だという解釈が一般的である。尊厳の証明のないまま無念の死であるかのように見えるが、この最後の一言によってまさにKは忘れられていた意義、自己の尊厳を証明したのであり、断じて「犬死」などではないのである。
春の大三角は「しし座/Leo」(父なるもの)、「おとめ座/Virg」(母なるもの)、「うしかい座/Bootes」(子なるもの)であり、三つの星座が正三角形をつくり同位格、つまり天の三位一体となっている。
K(子なるもの)は星座の「うしかい座」だと解釈したが、それが引いている革ひもの先は「猟犬座/CanesVenatici)の二匹の犬(α星はコル・カロリ。、チャールズ王の心臓という二重星である)
彼のすぐ前で頬と頬を寄せ、最後の結末を見守っている二人に「犬のようだ!」と言っている。つまり、犬のように見えるものに向かって「犬のようだ!」と言っているのである。「犬のようだ!」という言葉は他者にむけられた言葉であって、犬のような憐れな死に方への悔恨でも自虐でもない。
むしろ相手に「犬のようだ!」と言うことで、自分(K)は「自分は犬ではない!」と言明している。人間としての尊厳を固守し証明すべく言葉を放ったのである。
星が犬に見えるか?星は星であって犬ではないが、人は人であってそれ以下でもそれ以上でもないのに、ユダヤ人を「コートル/ユダヤの犬ども」と罵り蔑んだのはどこの誰だったろう。
「このルンペンども!」と彼は叫んだ「訊問なんて返上申しあげるよ。」(第2章)
カフカは一個の人間は太陽に値する存在であり、太陽そのものの化身にさえなるのだと言っている。
『審判』そのものの世界は逮捕そして裁判所は冥府である「死」からはじまり、カフカのいう本当の死に至るまでの物語である。
第一章→逮捕
第2章→第4章/この5日間(逮捕の日が基点)
第3章→第2章、ほぼ10日前(逮捕の日が基点)
第4章→第5章、それから間もなく(最初の審理が基点)
第5章→第3章、次の週のあいだ、来る日も来る日も(最初の審理が基点)
(登場人物とその名が暗示するもの)
①グルーバッハ夫人/地球の母なるもの(Globe)
②ビュルストナー/おとめ座のVirから聖母なるもの
③レーニ/Comabereniceのreniであり大母神レアー
④モンタークは月(Moon)
全員が何らかの具現であり、時には複合的な化身として登場する。
《ここが出口だと百ぺん言ってやったって動こうともしないんだ、という出口は日食の暗い空に描かれたあの赤い輪であり、入口は大きく開かれた天空(死の門)であり、門番が閉めるというのは太陽・地球・月が一直線に並ぶ、その黒い地球の影を月に重ねたときの暗い夜空にさらに赤道色の丸い円が門扉である。》