一生の 手紙の嵩や 秋つばめ
一生の手紙の嵩とはどんなもの(容量、質量)だろう。自分は人生の途中、任意の地点で 考えることがある。
秋になると子育て(仕事)を終えたツバメが南へ帰っていく光景の寂しさ。あの小さな身体にどれほどのエネルギーを宿しているのだろう、開かれた未来の展望が待っているだろうか。
秋つばめの宿命(一生)を推しはかることは困難であり、わたくしに残された時間というものも予測不能である。一生という定めの時間、猶予、余白を物量で推しはかることはできず、見えない未来に展望という明るさを期待することは無謀かもしれない。
しかも一生の手紙の嵩など目に見えるほどの物量でしかないが、見えない世界の大きさは手紙の嵩を遥かに超えるものがあると・・・(自負している)。