「しかし銀行でなら、ぼくも用意ができています、あそこでならあんなことは起りもしなかったでしょう」

※銀行/Bank→賭博台/Spiel/Spiegel

 心理学は天の鏡にうつった地上界の反射像の記述である(『八つ折り判ノート』より)つまり虚構、虚構には束縛がない、すなわち《自由》である。

 銀行「あの世、虚構、自由」では「死」の用意はいらない、すでに死後なのだから。

 

「たとえば銀行でなら、ぼくも用意ができています」

※用意/vorbereitet→vorsehung/あらかじめの配慮(宗)神意

《「たとえば銀行(虚構、自由)なら、ぼくもあらかにめの配慮(神意)があります。」

 

ぼくには専属の小使いがついているし、

※小使い/Diener→Doner/雷神(父なるもの、第8章・弁護士)

《ぼくには専属の雷神(父なるもの)がついているし》

 

外線電話や内線電話やが目の前の机にのっている、

※机/Tisch(この言葉は梃子の点)

 Schwengel punkt

 外線電話/Allgemeine→arrogant/思い上がり、傲慢

 内線電話/Bureautelephon→Bube/罪、懺悔

《傲慢や懺悔が目の前の中心点(梃子の点)にのっている

 

しょっちゅうひとがくる、お顧客や行員やが来て

※しょっちゅうひとがくる/ひと(Leute)Liebe/愛しい人

 お顧客/Parteien→Patin/代母、教母

 行員/Bankbeamt→Beamt/Beatrice(ベアトリーチェ)

《しょっちゅう愛しい人が来るたとえば、母や永遠の恋人なんかが

 

「あそこではたえず仕事とつながっています」

※仕事/arbeit→Alt vater/祖先

《あそこで冥府では祖先とつながっている》

 

「もし銀行であんなふうな事に出会ったら、それこそまさに気晴らしと言ってもいいくらいでしょう」

※気晴らし/vergnungen→満足、愉しみ、喜び

《「もしあの世、冥府であんなふうな事(死→誕生)に出会ったら、それこそまさに喜びと言ってもいいくらいでしょう」》

◎ここでは「死」は「誕生」なのだから。鏡に映った世界は逆である。