(初めに)
詩は一見自由奔放なスケッチに見えるが手段としての心理的トリックを駆使した世界観の呈示である。
「二重の風景」は風景をlandscpeで考えるのではなく、a view、a sightつまり考え方、見識と解釈すべきだと思う。時間、空間に対する認識、「死」という不可逆な方向性とその連鎖の相互関係のなかで未来を模索する実験なのである。
(mental sketch modified)というのは草案をつくるのに修正(変更)されたものという意味だと思う。
『春と修羅』というのは「太陽と地球」の暗示であり、HaruとAsura→HaloとEarth、つまり光と地球である。修羅が地球および「地球の精神」の化身ではないか。
おそらくこれから二千年もたったころは
それ相当のちがった地質学が流用され
相当した証拠もまた次ぎ次ぎ過去から現出し
みんなは二千年ぐらい前には
わずか一点にも均しい明暗のうちに(あるいは修羅の十億年)
一点が修羅の十億年、二千年は地球の概念では推し量れないものかもしれないが、この二千年というのは天文学的数値を暗示している。そしてまた別の見解では二千年はニセ(偽)、二重の嘘の考えとも読めるのである。
※一千→一線/line→lie
億→多く、年→idea/考え
これらについて人や銀河や修羅や海胆は
※海胆/uni→univierse/宇宙
海だべがと おら おもたれば
やっぱり光るやまだたじゃい
ホウ
髪毛 風吹けば
鹿踊りだじゃい
※「海」だと思ったら「山」だというのは賢治の思考の基本である。
【mentel sketch modfied 継ぎ目(現実と非現実、あの世とこの世)かと思ったら、二重の偽の太陽だ、裂け目(つなぎ目)のここにだれかが息吹けば懐かしい草原=地球grass→glass/鏡、嘘)である】
海/sea→seam
おら/or→すなわち、言葉を変えていえば
やっぱり/too→two
光る/shine→sham/見せかけの、にせの
山/サン→Sun/太陽
ホウ/hole→穴、裂け目
髪毛/hair→hear/ここ
風/フウ→who/誰 『風の又三郎』、「誰かの再来」三郎はサン/太陽の子
鹿/dear→dear/懐かしい
踊り/dance→downs/起伏した草原
《質的変換によってあらゆるものの価値を変移し観念的な優劣の解放を読む基点に置く考え方である》