ただ、Kが帽子を部屋においたまま持ってきていないのに気づいたとき、全員がそれをとりにつらなって駆けだしていったが、そのあわてた様子からともかくかれらのある種の当惑といったものがうかがえるのだった。

※帽子/hut→Hertz/心

 当惑/Verelegenheit→Verrucktheit/狂気、気違いじみた振る舞い

 

開いている二枚の扉のあいだをゆくかれらを見ていると、どんじりはいうまでもなく気のないラーベンシュタイナーでこれは粋な(だく)をやってみせてるにすぎなかった。

※だく足/Trab→Trott/速足、旧態依然、古いしきたり

 開いている二枚の扉?心を取りに行くのに開いている二枚の扉…善悪、zweiは疑惑/zweifelに通じる。

 (どんじり)なのに(だく足、早足)、粋な、というのは形式的、つまり矛盾に満ちた形式だとラーベンシュタイナー(天のお父さま)、主)を指摘している(古いしきたり)という暗示も含めて。

 新約と旧約の相違なども矛盾の中に含まれているかもしれないマタイによる福音書第5章には「隣の人を愛し、敵を憎め」→「汝の敵を愛しなさい」というように。矛盾点は主の認めるところなのだろうか。

 

Kは銀行でもしばしばそうする必要があったとおり、このときもはっきりと言ってきかせねばならなかった、カミナーのうす笑いは決して故意にしているのではないのだ。それどころかだいたい彼は意図して微笑するなんてできないのだと。

※必要/notig、notwendig→NotreDame/聖母マリア

 

控室にゆくと、グルーバッハ夫人が一同全員のために玄関のドアをあけてくれた。

※なぜ玄関なのか、Kはいつ家の外に出たのか?

1、(自分の部屋)→見知らぬ男(フランツ)がドアをあけ、Kは隣の部屋へ入っていく(開いている窓ごしにまたあの婆さんが目に入った。彼女はいかにも老人らしい好奇心まるだしにし、今また真向かいになった窓ぎわに歩み寄って、さらに事の次第を見とどけようとしているのだ)

2、(隣の部屋)→自分の部屋に入った。

3、(自分の部屋→かれがまた隣室に戻った時(ちょうど向かい側のドアが開いてグルーバッハ夫人が入ってこようとしていた、彼女は慎重にドアを閉めてしまう「二度と開かぬドア」

4、(隣室)→自分の部屋に戻った。

5、直ぐ隣室へ急いだ。

6、彼を股部屋に追い返した(関心因果Kを)

7、(自分に部屋)→空の隣室→次の部屋(ビュルストナーの部屋)→(彼らが出ていくときは玄関口まで追いかけていく、Kの思い)

8、控室に逝くと、グルーバッハ夫人が一同全員のために玄関のドアをあけてくれた。

《謎のような構造の家である、隣の部屋とか、お向かいとか、空の隣室、次の部屋、言葉自体は何の変哲もないが、いざつなげて見ると理解を超える構造である。

 自分の部屋からも隣りの部屋からもビュルストナーの部屋からも「お向かい(老婆たち)」は向こうがわであり、この条件を満たすには各部屋が向こう側の家を中心に円形になっているか重力を無視してわたしたちが言うところの縦状になって各部屋が配置されなければならない。しかもこの下宿は階段を昇っていかなければならないらしい。

 

さらに読み進むと、グルーバッハ夫人のへやのとなりはビュルストナーの部屋でありビュルストナーの部屋の隣りはKの部屋で,Kの隣りの部屋はグルーバッハ夫人の部屋なのである。

 普通に考えれば両隣より他に隣などないと思うのに、大尉はあなたの部屋の隣りの居間にいるという。これはもう平面上では把握できない構造である。

 控室や食堂なども一の確認は不可能だし、二度の開かないドアといったのに、夫人は玄関のドアをあけて全員を出迎えるのである。

 

『審判』は「死」から「人間としての尊厳を獲得した本当の死」にいたるまでの物語である。この基本的な考えに立ち戻るとグルーバッハ夫人(地球なるものの母の具現)が占めたのは、二度と開かない「現世へのドア}であり全員のために開けてくれた玄関のドアは《wohnugstur→wolbhngstur/丸天井(宇宙、あの世)のなのではないか。玄関はwohnugsturがいっぱんてきなのに、あえてwohnugsturにしたのはそういうことだと思う。

 

これは明らかに空間概念に対する挑戦である否、存在に対する否定かもしれない「有る」が「無い」のである。