『夜のカフェ』
『夜のカフェ』ではことさらに赤と緑の衝突を駆使し、恐ろしい情熱をこの作品に表現しようとしたというメッセージを弟テオにあてた手紙で記し『この絵はこれまでの絵の中で一番醜いもののひとつで、違うといえば違うが『馬鈴薯を食べる人たち』に匹敵するからだ」というコメントを残している。
【白服の男はゴッホの化身かもしれない】
日の当る労働に従事する時間帯には見ることのできない人間の悲哀、酒を飲み飲んだくれた男たち、怪しげな男と女は若くもなく夫婦でもないかもしれない。玉つき台の脇に立つこちらを向いた白服の男の脚の所在が不確かである。
描かれてはいるが実は居るはずのないものとして描かれているような気がするのである。
正面奥には日本風の掛け軸があり富士山と鳥居らしきものも見える。
深夜の室内、光と影(四つのランプと玉つき台の大きな影)不在の椅子、空のコップ、空き瓶。存在するが実は存在していない心象風景としてのこのカフェははっきりものの形を書きながらどこかちぐはぐな遠近法、色面処理によって不確かで不協和音的な非日常を物語っている。
【醜さは解放された真実の一側面である】
日常の喧騒と緊張から解放された刹那を、人間ドラマとして共感をこめて描いたのだと思う。むしろ醜いものの中にこそ真実があるということである。
深い沈黙と静けさ、声なき声のため息が何処からともなく聞こえてくる『夜のカフェ』である。