かんてらから黒い油煙が立ている、その間を村の者町の者十数人駈け廻ってわめいている。色々の野菜が彼方此方に積んで並べてある。これが小さな野菜市、小さな糶売場である。(本文より)
※十数人は(住す)、野菜は(夜叉)、糶売場(セリバ)は(修羅場)→油地獄
☆かんてらから黒い油煙が立ている、その油地獄の中を身の内外問わず住人が駆け回ってわめいている。色々の夜叉が彼方此方に潜んでいる。これが小さな夜叉、小さな修羅場である。
理髪所の裏が百姓家で、牛のうなる声が往来まで聞こえる。酒屋の燐家が納豆売の老翁の住家出、毎朝早く納豆々々と嗄声で呼で都の方へ向て出かける。夏の短夜が間もなく明けると、もう荷車が通りはじめる。ごろごろがたがた絶え間がない。九時十時となると、蟬が往来から見える高い梢で鳴きだす、だんだん暑くなる。砂暮頃が馬の蹄に煽られて虚空に舞い上がる。蠅の群れが往来を横切ってから家から家、馬から馬へ飛んであるく(本文より)
永遠は時の裏面にあり(明治二十七年八月十七日)
理髪所(トコヤ)→常、永遠
百姓家は百台(長い時間)
牛→丑(時刻)
酒屋/wine dealer→ディラー、デイ(dau/昼間)、納豆はnight/夜
☆永遠の裏が時間で、時の声が現世まで聞こえる。昼のとなりが夜である。蠅の群れが往来を横切って家から家、馬から馬へ飛んで歩く。未来は惨めか気楽と感じるか・・・。
今の裏面は直ちに永遠に非ずや(「欺かざるの記」明治二十七年七月八日)
否定、肯定を模索しながら書き綴る『欺かざるの記』
この(八)は二つ三つ、二台三台、ニ三人、書かれた生活の断片もニ三日。
そこに小さな料理屋がある。外は夕闇が込めて(一日目)
向こうの片側の屋根は白ろんで来た。小さな糶売場。(朝)
日が暮れると(二日目)
夜の二時ごろ、毎朝早く、夏の短夜が明けると、九時十時、それでも十二時のどんがきこえると(三日目)
つまり、few→future/未来を暗示しているのだと思う。そしてそれは今と変わるべくも無いと。