また武蔵野の味を知るには野から富士山、秩父山脈国府台等を眺めた考のみでなく、またその中央に包まれている首府東京をふり顧った考で眺めねばならぬ。(本文より)
※富士山は不死、秩父山脈は父、国府の台(こうのふだい)→(こうの)から(こうのとり)/母を。連想父があっての想起である。
また武蔵野の本質を知るには、死の国(冥府、地獄)から不死、父母等を眺めた考のみでなく又その中央に包まれている語り手である自分をにり顧った考で眺めねばならない。
この趣味を描くために武蔵野に散在せる駅、駅といかねまでも家並、即ち製図家の熟語でいう聯檐家屋を描写するの必要がある(本文より)
※家という文字が六回。
聯檐家屋〈れんたんかおく〉とルビが振ってある。檐の字はエン・オンとしか読まずタンは特例らしい。そのくらい特殊な言葉を敢えて必要としたのは何故か。意味は軒のひさしを連ねた家/長屋、煉獄の暗示か・・・。
駅、駅舎は例外なく細長い、長屋、細長い建物、long and slender、long sleep(long sleemer)→死の暗示かも知れない。
(五)の《思いがけなく細長い池が》の細長い・・・。
武蔵野を描くには『死』を書く必要があるということか。
また多摩川はどうしても武蔵野の範囲に入れなければならぬ。六つ玉川など我々の先祖が名づけたことが有るが武蔵野の多摩川の様な川が、外にどこにあるか。その川が平らな田と低い林との連接する処の趣味は、あたかも首府が郊外連接する処の趣味と共に無限の意義がある(本文より)
※多摩川は霊川、六つ玉川の碌は六働(前世の業によりおもむき住む六種の冥界、地獄、餓鬼、畜生、修羅、、人間、天上)六つの霊/魂の川。
平らはplain→planet(惑星)に、田は他に通じるかもしれない。
低い林は低い/the lower reginn→地獄。林は墓、あるいは地球。
首府はcapital/死に値する。郊外はoutskirts/町外れ→へり/hell/地獄
☆また霊(魂)川はdぷしても武蔵野(冥府、地獄)範囲に入れなければならぬ。六つ霊川などと我々の先祖が名づけたことが有るが武蔵(冥府、地獄)の霊川の様な川が外にどこにあるのか。その川が他の星(地球=実)と地獄の墓(地球=虚)との連接する処の趣味はあたかも死が地獄に連接する処の趣味と共に無限の意味がある、と読める。
作品そのものがこの関係(虚と実、存在と空無)として文字とその印象にあると思う。