足もとから少しだらだら下りに成り萱が一面に生え、尾花の末が日に光っている、萱原の先きが畑で、畑の先に背の低い林が一叢繁り、その林の上に遠い小杜が見え、地平線の上に淡々しい雲が集ていて雲の色にまがいそうな連山がその間に少しずつ見える。(本文より)
※萱は尾花とも言うのだとこの文章は知らせている。お花、端(花)の暗示ではないか。
つまり、始まり、源(ルーツ)の末(子孫)にスポットライトが当たっている景色が思い浮かぶ。萱、萱原は尾花、おばな、お端、始まり、古代人よりさらに以前の人の始まりを暗示した光景なのかもしれない。
☆吾は人間の情を信ず/生命の源を信ず/(略)宇宙は冷然たる死物か、宇宙は聖なる神のものか。/宇宙はホールなり。/ホールは死物か、死物なるホール如何に此の吾を生みたる。/吾は生命を信ず(明治二十七年五月三十一日)
重いがけなく細長い池が萱原と林の間に隠れていたのを発見する。水は清く澄で、大空を横ぎる白雲の断片を鮮かに映している。(本文より)
※細長い池? long and slender, long sleep (long sleemer)
白雲の断片、断片/piece、pierce/(悲しみが)しむ、貫く、(秘密を)見破る・・・。
思いがけなく亡骸を包んだ池が原初の墓の間に隠れていたのを発見する。水は清く澄で、大空を横ぎる白雲のような悲しみが鮮かに映し出されている。
《みずの潯には枯蘆が少しばかり生えている。》というもの「水の潯には白骨化した足が少しばかり見えている。」とも。