☆時間と空間のイリュージョンを去りて而して吾は何を為す。曰く働労作為す。之れ『今』の法なり。『今』の意味なり『今』の心なり。『吾 今 茲に 在り』凡ては此のうちより来る(明治二十七年七月七日)
されば若し、一の小径を往き、忽ち三条に分かるるところに出たなら困るに及ばない、君の杖を立ててその倒れた方に往きたまえ、或はその路が君を小さな林に導く。これは林の奥の古い墓地で苔むす墓が四つ五つ並でその前に少しばかりの空地があって、その横の方に女郎花など咲いていることもあろう。頭の上の梢で小鳥が鳴ていたら君の幸福である。すぐ引きかえして左の路を進んで見たまえ。忽ち林が尽て君の前に見わたしの広い野が開ける。(本文より)
※小径、小さな林、小なる路、少しばかり、そして少し、小杜、少しずつ、小春、小気味良い、小さな谷と《小》の文字が続いて表われる、小(省)は何を意図しているのだろう。
君の杖を立ててその倒れた方に往きたまえ、つまり天に運を任せる、《偶然》こそが自然の理ということであり、偶然が重なれば《必然》である。
三条に分かるる処、地獄の最初の分かれ道は三途の川。地獄道、畜生道、餓鬼道のことだろうか。
三から連想されるのは過去、現在、未来。或いは三条は産所か。ならば(小)の字は《生》になり小鳥が鳴いていたら君の幸福というのは bird、birth(誕生)を意味するかもしれない。
見わたしの広い野/no、無、空、宙が開けるということか・・・。