春、夏、秋、冬、朝、昼、夕、夜、月にも、雪にも、霧にも、霜にも、雨にも、時雨にも、ただこの路をぶらぶら歩て思いつき次第に右し左しすれば随処に吾等を満足さするものがある。これが実に又た、武蔵野第一の特色だろうと自分はしみじみ感じている(本文より)

 

 特色/feature→future/未来、特殊、特異。

 この意味は「今の武蔵野」というのは「未来の武蔵野」ということではないか。

 

《宇宙を想像し、「時」を想像して其無窮無限無邊なることは、實に吾をして、時代を忘れしめ、生死の海を忘れしめ》《無窮の時間に過去あらん、将来あらん。只だ今あるのみ。神は過去にましますに非ず、将来にましますに非ず「今」厳然として在しますなり。》

《三百年の後の人のために書す」てふ著作を思い立つ。》という三百年後も今だということである、しかしそれを言葉あるいは観念的には将来の範疇に入ることは言うまでもない。三百年を待たずとも独歩は墓中の人である、吾(独歩)が将来逝くべき武蔵野ということなのだと思う。それをあえて「今の武蔵野」と称したのだと解釈する。