(五)

 自分の朋友が嘗て郷里から寄せた手紙の中に「この間も一人夕方に萱原を歩みて考へ申候、この中に縦横に通ぜる十数の径の上を出で何百年の昔よりこのかた朝の露さやけしといひては夕の雲花やかなりといひてはあこがれ何百人のあはれ知る人や逍遥しつらん相憎む人は相避けて異なる道をへだたりて往き相愛する人は相合して同じ道を手に手にとりつつかへりつらん」(本文より)

※誰もが抱く願望である、それに比して武蔵野の現実を強調し、武蔵野の径には言い尽くせぬほどのリアルな現実内容があるという、人生の不確定性、運命に翻弄される人間の武蔵野における魂の散策を描いている。

 

☆人が實際住む世界に二ツあり。その一ツは俗人普通の世界。(略)其の他の一ツは詩人宗教家の世界なり。美妙、神、永住、希望、善悪、信仰の世界なり。(明治二十七年四月十二日)

 

 

 武蔵野の美はただその縦横に通ずる数千条の路を当もなく歩くことに由て始めて獲られる。(本文より)

※縦横に通じる数千条の路…数千条の路?『武蔵野』には妙な違和感があり独歩はリアルな風景描写の向こうに何か別の世界を意図しているのだということに気づかされる。

 

「吾大企画あり、嗚呼われに大企画ある也」(明治二十八年十一月二十五日)

 数千条は数戦場の路、冥府の裁判官十人の負うのところへ通じる古戦場の数々の路を示唆しているのではないか。

 そして、ここが冥府だとすれば、縦横に通じている数千条の路も確かに有るのかもしれない。

 

 武蔵野を散歩する人は、道に迷うことを苦にしてはならない。

 迷った処が今の武蔵野に過ぎない(本文より)

※《道に迷うことを苦にしてはならない》《迷った処が今の武蔵野である》

 道に迷う、迷路。冥土は冥路ともいう、武蔵野は冥土を描いている。

 

 独歩は明治二十八年七月二十五日の記に「昨日より『死』を作りはじめて已に四十余枚を書くきぬ」と記している。

『死』を作るとはこの『武蔵野』のことではないか。