☆過ぎにし人今何処にかある。されど今の人、終に何処にかある可ぞ。過ぎにし人々は嘗て今の人なり。嘗て未来の人々なりし也(明治二十七年三月七日)
☆ありし人「今」なし、時の裏永遠なかる可からず(明治二十七年六月六日)
☆人間中空を行く旅人あり、此は霊界旅行者也(明治二十六年四月二十五日)
不帰の客、気(精神)、つまり死。死の国、冥府の物語語録である。
☆然らば吾とは何ぞや。
神の愛に帰る霊魂也、神に在りて凡ての同胞が其の平等を保ち、永久を享くるなり。
吾とは此の振興に立ちて進むこの世の生命也(略)その吾即ちこの吾と何の異なる可き。(明治二十七年三月六日)
吾とは何ぞやの問は人と人との平等同情の感に要らしむ、然るに自然とは何ぞやの問は地理的差別を平等鳴らしむ。(明治二十七年三月二十一日)
☆「吾」、人間の暗黒をのぞき見て更らに無限の地獄を見る。
宇宙自然の生命は「吾」人間の生命にして、「吾」人間の生命は宇宙自然の生命なり光明人に在りて又た宇宙の心に在り(明治二十七年六月三日)
(一)
『武蔵野の俤は今纔に入間郡に残れり」と自分は文政年間に出来た地図で見たことが有る。そしてこの地図に入間郡「小手指原久米川は古戦場なり太平記元弘三年五月十一日源平小手指原にて戦うこと一日か内に三十余度」と書き込んであるのを読んだことがある。自分は武蔵野の跡の纔に残ている所とは定めてこの古戦場あたりではあるまいかと思て、一度は行てみる積でいて未だ行かないが実際は今もその通りであろうかと危ぶんでいる。ともかく、画や歌でばかり想像している武蔵野をその俤ばかりでも見たいとは自分ばかりの願いではあるまい。それほどの武蔵野が今は果たしていかがであるか、じぶんは詳わしくこの問に答えて自分を満足させたいとの望をおこしたことは十年前のことであって、今は益々こぼ望が大きくなって来た。
『武蔵野』という作品の書き出しである。
この記述の重さ、衝撃を想像せざるを得ない経由を経て初めて独歩の武蔵野は真意を明かすべく扉を開いてくれるのである。
この入間郡小手指原久米川は独歩の武蔵野の空想的扉である、だからこそ、未だ行ったことがないと言い、果たしていかがであるか、などと現実との接点に消極的な感想を述べるに留めているのだと思う。
独歩は『武蔵野』を介して独歩の私的メッセージを発信しようとしている。それな自然風景の平面的な描写ではなく、現実を超えた時空のなかの連鎖せる自分への問いなのではないか。