支那人
色彩…浅黄服、ぐちゃぐちゃした赤い眼、黄色の真田紐、赤い薬瓶
形態…とかげのような眼、細い指、尖った指、ひょういひょいと両足をかわるがわるあげて、あの手の指はずいぶん細いぞ、
爪もあんまり尖ってゐるし
この支那人は「月」ではないか。(支那/シナ・月/ルナ)
陳/tinは錫である
「・・・支那人が、両手を重ねて泣いてゐるのかなとおもいました」→棒状または板状のものを曲げると、表面には変化がなくとも澄んだ音がする。これをチンクライあるいは錫泣きという。
陳のやうないやしいやつ 陳/tin/錫(卑金属/容易に酸化する金属)
「月の錫のあかり」と詠んでいる(錫は銀白色)
風景
にしね山のひのき林、日あたりのいい南向きんかれ芝の上、 かれ草ほところどころにやさしく咲いたむらさきいろのかたくりの花、 かれくさのいいにほい、 すぐうしろの山脈では、 雪がこんこんと白い後光をだしているのでした、 雲があてもなく東のほうへ飛んで行きました
「山男の四月」とうたっているのに「かれ草」や「雪」である、これは逆ではないか。
賢治の作品は位相空間を設定している、空間、状況をネガとポジに置き換えることは、二重の風景の必須条件かもしれない。
支那人(月)は山男に出会い、そして隠すということは《日食》である。
それでも日光は行李の目からうつくしくすきとおって見えました(コロナ)
ははあ、風呂敷をかけたな。いよいよ情けないことになった(皆既食)
支那人(月)が山男(太陽)を隠せば地球(七つ森)には「二人の影がまっ黒に落ちました」ということに。
木樵/woodmanに化けた山男/woodsman→山男(サン→SUN/太陽)のお話、いつも天を仰ぎ地を掘っていた賢治の構想には驚かされます。