賢治は自分の詩を「或る心理学的な仕事の支度」のためのスケッチだと森佐一宛ての手紙に書いているという。
物質全部を電子に帰し/電子を真空位相といえば/いまとすこしもかはらない(「五輪峠」より)
海だがべと おら おもたれば/やつぱり光る山だぢやい(「高原」より)
ものはみな/さかだちをせよ/そらはかく/曇りてわれの脳はいためる
この世界/空気の代わりに水よみて/火ともゆらゆら泡をはくべく(「歌稿」より
つまり相の変換である。図(賢治画の写し)はこの考えを端的に視覚化したものと思う。
そこはちやうど両方の空間が二重になつてゐるとこで(「宗教風の恋」より
気の毒な二重感覚の機関(『風景とオルゴール」より)
空気に孔があいたよう(「森林軌道」より)
空間の二重性を暗示しているのではないか。
温かく含んだ南野風が/かたまりになつたり紐になつたりして(「温かく含んだ南の風が」より)
わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、すきとほつた風を食べ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。 またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものがいちばんすばらしいびろうどや羅紗や、宝石いりのきものにかはつてゐるのをたびたび見ました。
質的変換、質量をもたない風に質的表現を試みている。見えるべきものは見えないものに置き換えられて表現している。
「ひどく疲れた心がすばらしい輝きを放つ精神に浄化されるのをたびたび見ました」
☆観念化された言葉を解放、全く異なる意味に変換する可能性を持たせ、もう一つの世界を提示している。
言葉とは、意味とはを探求し存在、空(死)とは何かを追求したのだと思う。
