『階段を下りる裸体』
裸体とタイトルしているので人間を想起する。工作し繋げたような画には(頭部・腰・足)を想起させるものがあり、タイトル(裸体)と結びつけ、《裸体》であると確信するに至る(傾向)。
(裸体)らしきは下降の方向性を確かに見せている。画の端には明らかに階段と思しき図も見える、しかも破損しているような危険さを伴って。
上体は後ろに反り、階段を降りることに抵抗している、あるいは用心しているように見える。
すべては(ように見える)という推測で成り立っている。
(らしい、のようである)という曖昧さは画の緻密さによって確信(絶対)と破壊(可能性)の間で留まるという軽妙を隠している。緻密(らしく描かれた)画は、その熱量によってある種(疑問と不安の要素)を残存させたまま定着させている。
定着させているが浮力(流体の圧力)のより所なさが潜んでいる矛盾がある。
『階段を降りる裸体』というタイトルに抗うことによってしか見えてこない不思議な根拠のなさ(虚しさ)を感じさせる作品である。存在を描くというより存在しない空気感に固執し告発している。《無いが有るのだと》
写真は『DUCHAMP』TASCHENより