柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺

 

 スラっと出る言葉の流れはまるでお題目でも唱えているようである。

 自然なリズムには力みがない、にもかかわらずスピード感があり、音数の律すら意識の外である。

 

 (柿くへば)と(鐘が鳴るなり法隆寺)に因果関係はない。

 全く任意に口にした柿、(偶然)の所作と法隆寺の鐘の音(規則性を持った必然)の一致が作者の胸に響いたということである。

 偶然があたかも必然を呼び寄せたような偶然。偶然が重なれば必然になるが、この句を思えば、(柿を食う=鐘が鳴るなり法隆寺)が必然性を持って浮上する流暢。

 

 偶然と必然の境界のなさ、曖昧さの必然と偶然。

 共感の心理は真理である。

 

 柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺(柿食鐘鳴也法隆寺)はシ・ジキ・ショウ・メイ・ヤ・ホウ・リュウ・ジと読んで、視、自記、章、迷、耶、呆、立、恃。

☆視(よく見ると)自記の章は迷(判断が付きかねる)耶。

 呆(事の意外なのに驚く)立(なりたち)は自(思いのまま)だからである。

 

 柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺(柿食鐘鳴也法隆寺)はシ・ショク・ショウ・メイ・ヤ・ホウ・リュウ・ジと読んで、私、触、証、明、冶、報、理由、恃。

☆私は触(物に触れて感じる)証(ありのまま)を明らかにし冶(練り上げる)。

 報(告げ知らせる)理由は、恃(人を頼りにする)からである。

 

 柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺(柿食鐘鳴也法隆寺)はシ・ショク・ショウ・メイ・ヤ・ホウ・リュウ・ジと読んで、私、嘱、症、明、也、法、隆、治。

☆私は嘱(頼む)。

 症(病気の徴候)を明らかにする也。

 法(手だて、方法)を隆(盛んにして)治すことを!