どんなことをし ても生きる、法は犯せない。留まることで生きる方について考える。
X氏の母親は良い所の出らしいこと、息子は大学も出ていると語っていた。毅然とした風だったが、歩行も困難になり玄関までの数段の階段も登れない様子を見かね、わたしも手伝ったことがあった。
息子さんがお礼にと持ってきた料理は、洗剤不使用なのかひどく汚らしいものであったけれど、母親が「息子は中華飯店で働いていました」と言ったのを思い出し、ようよう口に運んだ。
その母親も他界し残された息子は40代だったにも拘らず、生活保護を申し出たらしい。
「生活保護の前に3つばかり仕事を斡旋されましてね、今2つ目の仕事に通っていますがどうも不向きなようでして・・・」と大きな声で道路際で話しているのが聞こえた。
何年かして地域の民生委員の方に「あの人を街で見かけました」というと,「そんなはずは有りません、ここでダメだったので横浜市に移って保護を受けたようです。ですからここら辺りにはいないはずです」と。
困窮して死を考えるより生きることに望みを託す方が賢明だろうか。X氏を何年か前に街で見かけたことがある。現在どうしてるかは不明である。