『透視』

 

 鳥の卵を見て成鳥を描く画家。画家は卵を凝視しているが、画いている画布は宙に浮いており、手前に傾いでいる。卵の乗った台も手前に傾いでいる。本来倒れるべき画布は画家の手(小指あたり)で押さえいて、転がり落ちるはずの卵は台の上に収まっている。

 

 微妙に少しづつ不具合が有るのに静止の体である。画家の背後に椅子の背が見えるが坐れば見えるはずの足(太股の部位や膝)が見えない。この画のぎりぎりの設定は、微妙に正しい(こうあるべき)角度や調子を隠蔽している。つまり安定しているようで不安定な設置であり、浮上している疑惑さえ感じる。壁や床の設定に欠け空間設定そのものがベタ(一次元=三次元の否定)なのである。

 

 鳥はやがて成長になるがその期間の時間は必須である。現実的な時空間は欠損しているのに、画家が卵を見ながら成鳥を描くというあたかも存在し得るかの景を《透視》と括っている。

 集積されたデータの元、卵が成鳥になることは周知の事実である。

 《そうなると決まっている》学習された概念の強さは『透視』を肯定する。

 

 (違和感)を(そうかもしれない)と肯定に導く巧み。

 時空間の歪みの正当化、《じっと見る凝視の眼差し》は虚偽を正当化するが、絵画の世界では犯罪ではなく精神界はそれを受け入れる。トリック・魔は《芸》である。

 しかしあからさまな《卵→成長》は鑑賞者の眼差しを開いたままに放り投げており、虚偽の混在は否定されつつ肯定されるという傾向がある。

 『透視』は精神界の闇を明るみに押し出した作品である。

 

 (写真は『Rene Magritte』カタログより